2011年5月27日金曜日

書評-「ユニクロの光と影」⑬

だいぶ間が空きましたが、SPA(製造小売り)についての説明をします。


柳井氏はユニクロ事業一本に絞ってから資金繰りや店舗拡大など以上に悩んでいたことがありました。

どうすれば安定的に、低価格で高品質なカジュアル衣料品を提供できるのかという問題です。

当初のユニクロは「品質よりも値段優先」でした。

国内メーカーから低価格の商品を仕入れ、値引きしたナショナルブランドを目玉商品として集客するという手法です。

「メーカーから仕入れてくる商品は、安いが品質は二の次だった。商品が売れ始めると、メーカーを経由して海外で作ってもらうようになった。
その段階では、品質管理体制が整っていないため、どうしても粗悪品が含まれてしまう。
仕入れ値が安いのでまともな商品をキチッと作ろうとすると生産工場が儲からないからだ。」


当時のアパレルでは非効率な流通と、委託販売制をとっていたことという問題点がありました。

委託販売制とは小売業者がメーカーや卸から仕入れた中から売れた分だけを支払い、売れ残ったら返品することができるという制度です。

柳井氏は3つの理由でこの制度を不合理と考えていました。

1、小売りにとって売れ残りリスクはないが、その分利益が低くなる。

2、流通の各段階で発生しているムダ・不効率は最終的に商品価格に上乗せされているため消費者の負担が大きくなっている。

3、商品企画がメーカーや卸主導となってしまい、小売り店舗の品ぞろえに一貫性がなくなり、しかも自由な価格設定ができず小売りの手足を縛ることになる。

柳井氏は85年に製造小売(SPA)というビジネスモデルに出会います。

アメリカではGAPがSPAへと転換を宣言したのが87年でした。

柳井氏は87年から10年間にわたりSPAへの転換を試みましたが、それは悪戦苦闘の連続だったそうです。

そのポイントは「生産管理」にありました。

ノウハウ不足で製造委託先のメーカーの品質管理が全くできなかったのです。

しかし98年に始まったABC改革によってSPCは本格的な体制となっていったのです。


(浅沼 宏和)