2011年5月12日木曜日

書評-「ユニクロ帝国の光と影」⑨

柳井氏のビジネスの原点


柳井氏は1971年に早稲田大政経学部を卒業し、ジャスコでの短期間の修行を経て、山口県・宇部市にある父親の会社である小郡商事に入社しました。

柳井氏の父は地域の顔役的な存在であったようで、商才もあり、スーツなどの衣料を扱っている小郡商事のほかに建設会社なども経営していました。

柳井氏が入社してくると、その父親は会社の実印や通帳などすべてを柳井氏に渡して小郡商事の経営の一切を柳井氏に任せたそうです。柳井氏がまだ23歳の時でした。


柳井氏はその後10数年にわたって宇部市で紳士服、婦人服、カジュアル衣料の販売業を営んだわけです。


柳井氏は小郡商事の経営を続けていくうちに、紳士服、婦人服、カジュアル衣料それぞれの特徴の違いに気付きます。


紳士服のスーツは価格が高く利幅も大きいけれど、呉服と同じで商品の回転率がとても悪いのです。
売れれば儲かるけれど売れなければ在庫リスクが大きいのです。


婦人服は紳士服より粗利が低いうえに、流行のサイクルが短く、リスクが大きい割にもうからないそうです。


カジュアル衣料品は紳士服と違い、接客せずに売れるというメリットがあります。
しかし、商品の実力によって売れ行きが大きく左右される欠点がありました。


当時、洋服の青山などが郊外型チェーン店を展開し始めていましたが、柳井氏の小郡商事の紳士服事業程度の規模ですと到底太刀打ちできそうもなさそうでした。

ライバルの躍進を見ながら柳井氏は「カジュアルウェアで郊外型店をやったら面白いかもしれない」と漠然と考えるようになったそうです。

また宇部市という田舎町から出て、都会で勝負したいとも思うようになったそうです。



そんな時期に柳井氏はアメリカに視察に出掛け、大学生協を見て非常に興味を持ったのだそうです。

大学生協は学生のほしいものの品ぞろえが豊富で、それでいて接客がいらないセルフサービス型の運営方式です。
「売ってやろう」という商業的なにおいがなく、買う側の視点に立った店づくりがなされていました。

「本屋やレコードやのように気楽に入れる」方法をカジュアルウェアの販売でやったら面白いのではないかと思ったのだそうです。


この時点での柳井氏の戦略ポイントを簡単にまとめると


≪顧客・市場の領域≫

品ぞろえが豊富で気楽に入れるカジュアル店


≪流通チャネル≫

買う側の視点に立った店づくり


≪商品・サービス≫

大きな特徴はない


≪生産性≫

接客サービスのないローコストオペレーション


といった感じでしょうか。

この戦略ポイントを引き出す前提として3つの衣料品の性格の違い、紳士服業界の競合他社の動向等が影響しているわけです。

また1980年代に入るとアメリカでカジュアル衣料品専門のGAPとリミテッドなどが急成長するようになったのを見て、ますますその思いが強くなり、1984年ユニクロ1号店の出店へとつながったわけです。





(浅沼 宏和)