2010年3月31日水曜日

書評 「かばんはハンカチの上に置きなさい」

川田修『かばんはハンカチの上に置きなさい』ダイヤモンド社、2009年  定価1,575円


著者はプルデンシャル生命のトップクラスのライフプランナーであるそうです。トップならではの鋭い観点が垣間見られます。


・優秀な営業マンになるためには「他の人と違うことを徹底的にやる」ことが必要。
  1.  カバンの底は靴底と一緒、だから靴を脱いで家に上がる営業ではかばんの下に白いハンカチを敷く
  2. アポは2分遅れでも必ず電話する
  3. コーヒーと一緒にスティックシュガーを出されたら、使用後のごみは自分で持ち帰る。飲み終えた食器は相手の食器に近付けて帰る。そうすると片づけやすくなる。
  4. 携帯からのメールは注意。そっけなくなりがちなので最後に「外出中のため携帯からメールを転送させていただきます。簡単なメールで失礼します」などと付け加える。
・レベル1つの差がとてつもなく大きい。一定のレベルを超えると「この人はちょっと違うな」と興味をもたれる。
その基準ラインは普通の営業マンの一般的な行動におかれている。基準以下の行動はすぐ忘れられるが、基準レベルが10であれば、それをたった1でも上回れば記憶に残る。
普通よりほんの少し上のことをとことん極めることが大切。

・同じ商品でも営業マンによって売上に差が出る。
お客様は商品と一緒に営業のお客様に対する気遣いや仕事に向かう姿勢や理念といった営業マンが持つ「空気」も買っているから

・転職した当初はなりふり構わず働くことが大切。
そうすれば必ず成長できる。
ワークライフバランスも大切だが、それを勝ち取るには仕事に没頭する時期が必要

営業という仕事は「物事を相手の目線で考える」究極の仕事
専門職ではないが、何にでも応用のきく究極の「手に職」となる。


当社では環境整備のコンセプトを練り上げることに力を入れていますが、その中で「究極の見た目」という考え方を提起しています。

目先だけで相手をごまかす技のように聞こえるかも知れませんが、見た目の違和感を徹底的に排除していくことが「究極の見た目」です。

それは「究極の顧客目線」に通じる部分がありますので、川田氏の考え方とそんなにかけ離れてはいないと思います。

2010年3月30日火曜日

書評 「2020 10年後の世界新秩序を予測する」

ロバート・J・シャピロ『2020 10年後の世界新秩序を予測する』光文社、2010年  定価2,415円


本書はいわゆる未来予測モノです。概略と特に日本に関する記述だけまとめます。


まず世界の潮流についてです。


・「少子高齢化」「グローバリゼーション」「ソ連崩壊」の3つの流れが世界の未来像を塗り替えつつある。

・米国、中国は欧州、日本に比べて少子高齢化の影響が小さい。またグローバリゼーションを受け入れている。今後両国が世界経済をけん引する。

・欧州主要国と日本の低迷の理由は以下の通り
  1.  福祉制度が手厚く、失業者がなかなか再就職しない。また高水準賃金と解雇困難なため企業が雇用をちゅうちょしがち
  2. 起業が難しいので新たな雇用が生まれにくい
  3. グローバル経済では先進国は発展途上国との協働関係が必要だが、それができていない。


これが日本についての記述はさらにシビアです。


日本の弱みは欧州諸国とは違う。誤った方向への第一歩は1970年代のオイルショック時の対応にある。
政府は補助金や保護主義的施策を有望な輸出関連企業ではなく崩壊寸前の産業部門に振り向けた。
その結果、わずか一握りの世界的輸出関連企業と何百という産業で弱体な企業が保護されながら生き延びている。

さらに、70年代を通じて海外からの投資を法的に締め出してきたが、制限措置の解除された現在でもその当時からの影響力は計り知れないものがある。

規制撤廃(98年)から10年を経て、GDPにおける割合でみると海外からの直接投資は米国の7分の1、ドイツの20分の1、英国の30分の1と比較にならない。しかもまだ重大な規制がいくつも残っている。海外企業はいまだ日本企業の買収が十分できない。

日本の場合、各産業部門の国産企業が周りに壁を築いている。米国の企業や経済を変貌させつつある様々なイノベーションが日本にほとんど波及していない。

西欧からみると日本人は不可思議。10年の景気後退にも人々は抵抗せずに現実を受け入れてきた。決定的な経済改革は不可能にみえる。いくつかの新技術の開発程度では日本経済を弱体化させている文化的・社会的・政治的勢力には打ち勝てない。

日本人はいまだにグローバリゼーションをチャンスではなく脅威とみている。そうした態度はグローバリゼーションに伴うさまざまな変革を拒絶する傾向を生んでいる。

日本の労働力は毎年1%ずつ縮小している。それなのに日本では生産性を向上させる努力が足りない。このため日本では今後10~15年にわたって平均1%か1%強の成長しか見込めない。


日本の未来に悲観的な点は他の書籍と共通ですが、チャンスをつぶしているのは日本の文化的・社会的・政治的体質というところがとりわけ厳しく感じます。

一企業、一ビジネスパーソンとしてできることの限界がありますから、本来政治に期待すべきなのでしょうがいかんせん各政党のレベルの低さがきわだっていますから難しいところです。

2010年3月29日月曜日

リコー流の「改善」論

日経ビジネス2010.3.29号にリコーの改善についての記事が載っていました。

記事は副社長であり、全社構造改革を担当している遠藤紘一氏へのインタビューの形式をとっています。概要は以下の通りです。


・不況期の現在、起死回生のV字回復を狙う議論が多いが、日ごろから努力を重ね、こつこつ改善活動に取り組んだ経験のない企業には改革のような大手術を遂行することはできない。

・社員一人が一日100円削減する改善を行うと、一人当たり年間2万円を削減できる。リコーの全社員がこれを実行すると削減額は21億7千万円にのぼる。

・10年ぶりに東京に行った人はその変わり方に驚嘆する。しかしそこに住む人は変化を感じないもの。日々の小さな変化を継続すれば当事者も気づかぬほどの大きな変革がもたらされる。

・想定外の危機であっても、その兆候をできるだけ早く察知することが大切。

・100円の価値を重く見ず、道端に落ちている100円玉を拾おうとしない人に改善を実行できるはずがない。

・人間は機械と違いプログラミングされていない異常を感じ取ることができる。問題はそのセンサーを使おうとしない人が多いこと。「余計な仕事を増やしたくない」というのがその理由。

・平時に育った人は「何か新しいことに取り組まなくても何とか過ごしていける」という思いが強い。危機意識の欠如。

・改善しない人の決まり文句は「仕事が忙しすぎて新しいことに取り組む余裕がない」

・改善の精神を身につけることができる人は一部。経営者「全員ができなくてもよい」と割り切ることが必要。


この議論は改善についてのものですが、その精神は当社の環境整備のコンセプト(2S直角平行)に通じるものがあります。

環境整備のメリットの一つは細部に目がいくようになり、いち早く異常を察知できるようになるというものでした。
そうした研ぎ澄まされた感覚がなければビジネスシーンにおいて的確な判断を行うことが難しいのではないかと思います。

私は以前から改善活動と環境整備を一体のものとして扱う必要性を感じていましたが、先進的な経営で知られるリコーが上記のような考え方をしていることに意を強くしました。

閑話休題-世阿弥の『風姿花伝』

東洋経済2010.4.3号に世阿弥の名著『風姿花伝』の解説がありました。

「一生ものの古典」という連載の25回目の特集です。

ビジネスパーソンはキャリアが長くなるほど一般教養的な力が必要とされることから、こうした連載がなされていると思います。

風姿花伝は学生時代に読んだきりですし、当時の理解力ではとても身についているとは言えませんのでこうした特集は役に立ちます。以下、概要を述べます。

風姿花伝は室町時代に書かれた能の修行や演出に関する方法論をまとめたものです。
しかし、その内容が物事全般に上達していくことに応用できることから読み継がれているわけです。



・物事に上達した人を「達人」といい、達人より上の技能を持つ人を「名人」と呼ぶ。達人から名人へとさらに自らの芸を磨くことの重要性を指摘する。

・新しいことを学ぶには徹底的に良いものをまねるとよい。些細なことでも写実的にまねてみよという。写実を行うことで本質が身についてくる。

「学ぶ」「真似ぶ」に由来する。学びの精神のもとはまさに真似る精神である。

・モノマネを謙虚に続けていくと最後には似せただけのレベルをはるかに超えた境地に達する。これを「似せぬ位」と表現する。

「秘すれば花、秘せねば花なるべからず」という有名な言葉は、秘密にしておくから素晴らしいのであり、公開してしまえば花ではないという意味。
芸能では一子相伝という戦略的概念があり、最も大事な奥義は公開せずに、一人にだけ口伝えする方法をとる。
世阿弥の風姿花伝も明治になるまでその存在が公にされず秘密裏に子子孫孫伝えられてきた。

「離見の見(りけんのけん)」を重視する。役者が能を舞う最中には自分を冷静に見る別の自分が必要であり、能舞台すべてを一望するような別の意識を持つことが大切という意味。

「時分にも恐るべし」という。つまり時機や時の運が非常に大切ということ。上昇発展期には得意の演目を派手に披露するのがよく、反対に時の運が下降している場合は、あまり目立たない演目で控えめに見せることを推奨している。

・世阿弥は「勝負」という言葉をよく使う。優美な芸術も実は勝負の世界のものである。能が社会で正当に評価され、長い間維持されるためには兵法に劣らぬ戦略・戦術が必要であった。いくら優れていても世間で評価されなければ意味がない。



このように風姿花伝は芸のパフォーマンスの向上からブランドの確立・維持というマネジメントレベルの戦略が織り込まれている名著であったために、現在でも広く読み継がれているわけです。

2010年3月27日土曜日

生産性と知識

われわれの大部分おそらく全員が、知っていることの数分の一しか利用していない。
主たる原因は、せっかくの知識を動員していないことにある。
多様な知識を道具箱の中にしまいこみ、道具として使っていない。 (『ポスト資本主義社会』より)


ドラッカーは知識の活用が生産性の根本にあると考えます。
当社の定めたミッション「共に考え、共に実行する」は、知識を活用し、生産性を上げ、より大きな成果を獲得することを支援するという意味を持っています。

これはドラッカーの考えを簡潔にまとめることを意識して作りました。
つまり下記のような話です。

学んだり教えたりする上では、道具に焦点を合わせなければならない。
だが道具を使ううえでは、成果、任務、仕事に焦点を合わせなければならない。 
 (『ポスト資本主義社会』より)

またこんなことも言っています。

結合こそ、偉大な芸術家のみならず、ダーウィン、ボーア、アインシュタインなど偉大な科学者の特性である。
彼らの結合能力の水準は天賦のものであって、天才という名の神秘きわまる能力の一部かもしれない。
だが結合によって知識の生産性をあげることは、かなりの程度学ぶことができる。
   (『ポスト資本主義社会』より)

結合は別の本では総合、統合といった表現を使われたりしています。微妙には違う意味があるようですが、大筋では同じような意味で理解してよいと思います。
ばらばらの知識をまとめることによって思いもかけない大きな成果につながるという考え方です。

これはビジネス上の偉大なイノベーションが既存の知識の独創的な組み合わせによって成し遂げられるという考え方につながっています。

2010年3月26日金曜日

◇会社見学会開催-山崎産業

Shizuginshipで面識のある山崎産業の山崎専務、鈴木常務のご厚意で、会社見学会を開催しました。

常務の鈴木さんが昨年末の当社セミナーにいらしゃってくださり、環境整備についての取り組みに関心が高かったことから「一度見に来てくださいよ」といっていただいたのが今回の見学会のきっかけでした。

しかし、見学希望される経営者の方が多く、いつのまにかイベントのような形になってしまいました。


山崎産業はコンプレッサーを中心に「回転する機械」各種を取り扱っている浜松の老舗企業です。

今回は環境整備とISOの取り組みの事例研究という位置づけの見学会でしたが、マネジメントについての先進的な取り組み状況のご紹介までいただきました。

参加された経営者のみなさんも熱心に質問や提案をされ、とても盛り上がった研究会となりました。




山崎産業はまず会社自体が非常にきれいであり、徹底したIT化による書類の大幅な削減や、ミニ・カンパニー制による特徴あるマネジメントを行っています。


その先進性に参加者の皆さんも大変触発されたようでした。



また山崎専務には入念な資料をご用意いただき、感謝しております。

後で伺ったところほぼ1日かけて資料を作っていただいたそうで、とても恐縮しました。



今後もこうした見学会を企画していきたいと思っています。

顛末については後日TMAレポートにまとめたいと思います。

2010年3月25日木曜日

生産性を高めるには

知識労働者とサービス労働者のあらゆる活動について、本来の仕事に必要か、本来の仕事に役立つか、本来の仕事がやりやすくなるかを問わなければならない。
答えが否であるならば、そのような活動は仕事ではなく雑事にすぎない。 (『ポスト資本主義社会』より)



最終目的を意識しなければ生産性を向上させることはできません。それは不必要な仕事を辞めることを伴います。やめるべきことをやめるというのは「集中」に必ず伴ってくるものです。
ドラッカーはこうしたことを「体系的廃棄」を呼んで非常に重視しています。


実際に仕事をしている人間こそが、何が生産性を高める役に立ち、何が邪魔になるかを知っている。したがって知識を持ち、技能を持つ者本人に責任をもたせることが必要である。 (『乱気流時代の経営』より)


ドラッカーは、知識社会においては本人だけが自身の成果達成を管理できると考えています。
だからこそレベルの高いビジネスパーソンになる責任は本人が負うことになるのです。


知識労働者とサービス労働者の生産性向上には、継続学習を組み込むことが必要である。知識は、その絶えざる変化のゆえに、知識労働者に対し継続学習を要求する。サービス労働者に対しても、継続的な自己改善努力としての継続学習を要求する。 (『ポスト資本主義社会』より)


自分自身でレベルの高いビジネスパーソンになっていくためには継続的に学び続けなければならないということです。
学習が途切れた時点で成果を上げるために必要な能力が失われてしまうのです。


生産性向上のための最善の方法は、他人に教えさせることである。知識社会において生産性の向上を図るには、組織そのものが学ぶ組織、教える組織とならなければならない。 (『ポスト資本主義社会』より)


ビジネスパーソンとしての研鑽の責任は本人にあります。そしてそのためには人に教えるという段階が必要になります。

つまり、生産性の向上にはビジネスパーソンのレベルアップが必要であり、そのためには各人が継続学習を行わねばならず、さらにそのために他人に教えなければならないということになるわけです。

2010年3月24日水曜日

生産性について

しばらく「生産性」について考えていきたいと思います。

生産性とは、最小の努力で最大の成果を得るための生産要素間のバランスのことである。(『現代の経営』より)


以前に、コスト管理を検討した時の核となるコンセプトが上記のようなものでした。

ドラッカーは生産性を実現するのは知識労働者の創意工夫にあると考えているようです。

生産性の向上は、肉体労働によっては実現されない。逆にそれは、肉体労働をなくす努力、肉体労働を他のものに置き換える努力によってもたらされる。 (『現代の経営』より)

肉体労働を置き換えるというと、機械を導入することと考えがちです。しかし、ドラッカーの考えるところはもっと深いものです。

知識労働者の生産性を向上させる条件は、大きなものだけで6つある。仕事の目的を考えさせる。生産性向上の責任を負わせる。イノベーションを行わせる。継続して学ばせ教えさせる。量よりも質が問題であることを理解させる。彼らをコストではなく資産として遇する。 (『明日を支配するもの』より)

知識社会における生産性は複雑な要素が関係してきます。しかし、上記の6つの条件はスキルの高いビジネスパーソンの在り方と考えてみるとよく理解できると思います。
要は各個人がより高いレベルの存在となることが生産性の条件となっていると考えられるわけです。

知識労働者の生産性を向上させるためにまず問うべきことは、何が目的か、何を実現しようとしているか、なぜそれを行うかである。 (『未来企業』より)

成果を上げるためには集中が必要です。集中させるためには目的が必要であるということです。

2010年3月23日火曜日

山崎製パンとドラッカー経営

日経ビジネス3月22日号に山崎製パンが特集されていました。


山崎製パンは国内パン市場の約4割を握り業界をリードしており、強い交渉力から「セブンイレブンに屈しない唯一のメーカー」といわれているそうです。

飯島延浩・現社長は、キリスト教信者であり、またドラッカー経営の信奉者でもあるという独特な人物であるようです。

飯島社長はドラッカーが存命であった頃、毎年一度はドラッカーと会って薫陶を受け続けてきたそうで、ドラッカー経営とキリスト教は両立するという考えを持つにいたったのだそうです。

といっても飯島氏の議論は単純で、ドラッカー経営で言う「使命(ミッション)は何か?」と問うことはキリスト教で言う「神の御心にかなう道」を目指すことなのだそうです。

ドラッカー経営というのは、「お天道様に顔向けできないことはしない」というまじめな経営ですから、言われてみると宗教的な原則と近い部分があるのかもしれません。



もともとドラッカー経営を実践する経営者はたくさんいます。

しかし、最近のドラッカーブームでそれを表明する人が増えているように思われます。

私が初めてドラッカーを扱ったセミナーを開催したのはドラッカーがお亡くなりになる半月前でした。

セミナーでドラッカーの話を聞いた人の多くは「ドラッカーってだれ?」という感じでしたが、その半月後に新聞に大々的にドラッカーの業績が発表されるのを見て、「いい話をしてもらった」と喜んでもらえたのを思い出しました。

2010年3月21日日曜日

一流になる力⑥

学習についての続きです。

小宮氏は仕事の本質はOJT(仕事を通じた学び)だけでは理解できないといいます。
ですから仕事のオフの日には、意識して仕事の本質的な部分について学ばなければならないというわけです。

継続的な勉強によって仕事の本質がわかっていくにつれて、いろいろな改善案が浮かんできます。

次のステップは仮説を立てて検証していくということになります。どんどんアイディアを現場で試していくということでしょう。




どんな仕事であれ、それについて勉強することはいくらでもあります。
けれども実際には多くの人は自分の仕事について深く勉強しようとはしません。
そんなことをしなくても日常の仕事には困りませんし、そこそここなしていけるからです。

しかし、小宮氏はこれからの時代に必要なんは仕事の実力であり、仕事を深められない人、深掘りしようとしない人は上に上がれなくなると指摘します。

そのための必要な視点は
「今の現状で本当によいのか?」
「お客様のために何かやってあげられることがあるんじゃないか?」
と常に考えていれば、勉強することは無限にあるはずだし、いくらねも変えることは見つかるわけです。

また勉強について、普段の仕事で必要なことよりも少し難しいレベルの内容や仕事の周辺にある分野について勉強しておくことは仕事の実力を高める上でとても大切であるといいます。

仕事の周辺を勉強すれば世界がぐんと広がっていきます。

(つづく)

2010年3月19日金曜日

一流になる力⑤

小宮氏は一流を目指しての勉強法について言及します。

そしてビジネスパーソンが身につける「技」として次の三つを上げます。

①今の自分の仕事に関係すること
②会計・会社法など、会社に関係すること
③マクロ経済など世の中全体に関係すること

二極社会で認められるためには、どの分野でもよいから、ある一つの分野で一流になることを目指すべきだといいます。
その出発点が、今自分がやっている仕事のスキルを磨くことなのです

特に若いころは完璧な仕事を目指すことが重要であるといいます。
若いうちは会社の業績にかかわるほどの仕事を任せてもらえるわけではありません。
差がついたとしてもほんのわずかなものです。しかし小宮氏ほんのわずかな差が決定的であるといいます。

「わすかな差が決定的」というのが小宮氏独特の視点です。小宮氏の別の著書では、この視点をトップ企業の特徴論において展開しています。

小宮氏の意見はドラッカー的ですが微妙な点で違っています。「完璧」に関する見解です。少し説明します。

ドラッカーはプロフェッショナルは完璧な仕事を約束する人ではないといいます。神でない以上完璧な仕事はできません。しかし、全力を尽くすことは約束できるわけです。

つまり、プロフェッショナルとは常に全力を尽くす人というのがドラッカーの定義です。
この全力というのは100の力を100出すというより、頑張って頑張って110~120出すという感じであるようです。

全力を尽くすことが、完璧を目指すことであるとするならば小宮氏の説明と重なっているといえるでしょう。

(つづく)

2010年3月18日木曜日

一流になる力④

続いて小宮氏はアメリカの解雇のルールについて説明します。

アメリカではブルーカラー年功の短い順から解雇されるそうです。
能力の高い若い人は解雇されてもよそで務めることができますが、年配の人はいったん解雇されると再就職が難しくなります。

ブルーカラーの場合、年齢が進むと体力が追い付かず能力が落ちざるを得ないため年配者に配慮する仕組みとなっているのだそうです。

しかし、ホワイトカラーの場合、そうした配慮はないそうです。
ルールは単純で、能力の低い人から解雇されます。

ホワイトカラーは年齢が進むと能力が落ちるというタイプの仕事ではないため、年功があるのに能力が向上していない場合には勉強や研さんを怠ったものと判断できるということのようです。

そして小宮氏は一流の社員が育つ条件として経営者が一流であることをあげます。
「二流の経営者のもとでは一流の部下は育たない」という命題が成立するというのです。
社員の力量の上限が経営者の格で決まるというのは経営者にとっては厳しい命題であるといえます。

また社内に実力のない上司がいると部下はつぶされるといいます。実力のない人間ほど下をつぶそうとするというわけです。これは非常に多くの事例をみかけます。

実力のない人間は自分の仕事を秘密にして、そのノウハウを公開しないことで権威を保とうとします。
実質的な能力以上に自分を大きく見せることに全力を注ぐわけです。また少しでも優秀な人間をみると社外に追い出そうとするというわけです。

ドラッカーは現代のビジネスパーソンについて、知識労働者、プロフェッショナル、チェンジリーダー、イノベーター、テクノロジスト‥‥と多様な概念を駆使して説明しています。

これら細かい区分は別として、共通する性格はいずれも成果に焦点を合わせていることです。
また成果を上げる能力を身につける責任は本人にあるとされています。つまり自分自身でレベルを引き上げていかなければならないということです。

小宮氏の指摘するホワイトカラーの厳しい現実はドラッカーのこの指摘を説明するものととらえられます。

(つづく)

2010年3月17日水曜日

一流になる力③

「考え方」が誤っていると成功しない。

と、小宮氏は指摘します。

本当の成功を得たければ、いざという時の判断基準となるぶれない「哲学」をもたなければならないということです。

そのために小宮氏は論語や老子、プラトン等ずっと昔から読み継がれてきたような本を読むことを推奨しています。こうした読書が自分の考え方のバックボーンとなるということです。

また松下幸之助氏や稲盛和夫氏は「正しい考え方」をしていたからこそ日本を代表する事業家になれたといいます。

この二人に共通するのは人々を幸せにすることを考え、良い仕事をした結果としてお金を売ることは私利私欲ではないという考え方をしていたことです。
お金は良い仕事の「ごほうび」ということなのだそうです。

「もっと良い仕事をしよう」と考え、その結果、お金も評価も得られる良い循環に入ることが可能となるといいます。

だから「利益」は目標であっても目的ではないというのです。

これは非常にドラッカー的です。ドラッカーは利益は目的ではなく条件であるといいます。小宮氏はそれを言い換えているだけであると考えられます。

(つづく)

2010年3月16日火曜日

一流になる力②

小宮氏は不景気、低成長の時代であっても、勉強を積み重ね、工夫し、努力し、世の中で自分を生かすための道を探り知恵を出していくことで成長し成功することができるといいます。

またIT化の進んだ現代は知恵の時代となったといいます。

この点について、私も思い当たることがあります。

私の仕事のうち税理士業務の根幹にあるのは税法解釈です。

かつてこの仕事の質の高さはほぼ経験年数に比例していました。

なぜなら、天井まで届くほどの法令集から必要な情報を引っ張ってくるには膨大な量の経験が必要であったからです。

解釈以前に必要な資料を探し出すために何時間も、場合によっては何日もかかったりしていたわけです。

ところが2000年前後から判例や条文のデータベースが整ってきました。ですからかつては年季が物を言った情報収集が簡単にできるようになってしまったのです。

その時点から「年季」という概念は意味をなさなくなりました。深い思考力だけが物を言うようになったわけです。

法学系の出身者が大幅に有利になりましたし、法学系ではなくても論理的な思考に秀でた人は以前より早く頭角を現せるような土壌になったと思います。

また資料が簡単に入手できる以上、より高度な判断ができるように研さんを積まなければすぐにとり残されて行ってしまう危険も高まったわけです。簡単な税法知識は顧客の側でも入手できるようになっていますし。


こうした事情はあらゆる業界にあると思います。

小宮氏はこうした時代状況にあって、これから伸びることができるのは「業種」でもなければ「業界」でもないといいます。それぞれの会社や個人が伸びる時代になったというわけです。

これからの時代に大切なのは「知恵を出す」ことであり、知恵とは企業でいえば企業戦略であるということなのです。それが企業を生かす道であると指摘しています。

当たり障りのない思考しかできなければすぐに淘汰されてしまう厳しい時代になったといえるでしょう。

ドラッカーは、現代の仕事の多くは知識労働であると述べていますが、上記の話はこれを裏付けるものであると思います。


(つづく)

2010年3月15日月曜日

一流になる力①

女子高生マネージャーのドラッカー経営の後に、またドラッカー経営をベースにしている小宮氏の本について連載します。

小宮一慶『一流になる力』講談社、2009年 定価1,470円 


小宮氏はドラッカー経営を最も忠実になぞっていると思われるコンサルタントです。
ですから必然的にこのブログでも登場回数が多くなります。

この本もなかなかよいまとめかたになっていますので詳論したいと思います。


小宮氏は今後の日本は数十年間、低成長時代が続くという認識を持っています。
さらにグローバリゼーションの進展が日本の経営環境を激変させると考えています。

そこで提起される仮定が「誰でもできる仕事はどんどん低賃金になる」という厳しい指摘です。

こうした時代では、スキルを磨いて自らの価値を高めた人材だけが抜擢され高給を取るようになり、勉強していない人、有用な人脈を持たない人、「そこそこでいい」と考える向上心のない人は食えなくなると小宮氏は指摘します。

ここで「そこそこ」というのは、一流でもないが三流でもないといったレベルの人のことです。

小宮氏は高度経済成長時代においては「そこそこの人」であれば食べていくことができたといいます。
しかし、これからは「そこそこの人」では食えなくなるというのです。

小宮氏は「一人前」「一流」の違いを明確化する必要を指摘します。一人前というのは定型的な仕事をそつなくこなせるレベルの人を指しています。

しかし、今後は一流以外はすべて三流と考えなければならないというのです

かつて「そこそこの人」「一人前の人」と呼ばれるレベルの人は今後はすべて三流に落ちるしかないというわけです。

これはかなり厳しい指摘です。小宮氏の立論は一億総中流時代が崩壊し、一流以外はみな三流時代が到来したということなのです。

また小宮氏は日本のホワイトカラーはかなり楽をしてきたと指摘します。その点について次回に詳論したいと思います。

(つづく)

2010年3月14日日曜日

高校野球部女子マネージャーとドラッカー⑥

みなみは次に社会の問題に取り組もうと思った。

成果を上げ始めた野球部のノウハウを他のクラブ活動にも提供しようと思ったのである。これはコンサルティングに他ならなかった。

陸上部では各部員への責任を分け与えることで出席率を上げた。
柔道部ではチーム制練習の導入で体力測定の数値を上げた。
家庭科部ではフィードバックの仕組みを構築することで料理のレベルが向上した。
吹奏楽部では各人の強みを生かす編成に変え、みんなを生き生きさせた。

さらに学校の問題児たちをマネージャーとして野球部に入部させるということで学校の問題解決に貢献した。

またみなみがコンサルティングを行った他のクラブと野球部が合同練習することでさらにレベルを引き上げることにも成功した。
これはみなみとは別のマネージャーの提案であった。みなみは彼の「新しい試み」の良しあしを判断することはしなかった。

「あらゆる組織がことなかれ主義の誘惑にさらされる。だが、組織の健全さとは高度の基準の要求である。
 ‥‥成果とは百発百中のことではない。‥成果とは打率である。
 ‥‥人は優れているほど多くの間違いを犯す。優れているほど新しいことを試みる。」

みなみはこの原則に従ったのであった。

またみなみはむやみな部員の募集を控えるようにした。

「規模の不適切さはトップマネジメントの直面する問題のうち最も困難である。」

「真摯さを絶対視して初めてまともな組織といえる。」

だから入部希望者には十分な話し合いを行うこととした。

そして最後にみなみは「集中の目標」の決定に取り組んだ。

「集中の目標は基本中の基本というべき重大な意思決定である。」

その結果、二つの目標が決まった。

1、ボール球を捨てストライクだけを打つ。

そのためにボール球を見送る練習だけに集中した。

2、エラーを恐れない

「ノーボール作戦」は全球ストライク勝負なので、打ち返される可能性が高くなり守備の負担がふえる。エラーは避けられないが問題は浮足立つことであると分析した。だからエラーを恐れないことを最も重視した。

こうした独創的な戦術と集中の目標を駆使してみなみの高校は地方大会を勝ち上がり甲子園出場を決めたのであった。

とまあ、こんなお話でした。

2010年3月13日土曜日

高校野球部女子マネージャーとドラッカー⑤

チーム制と各人の責任の明確化は徐々に成果を上げていった。

みなみは、各人の仕事が組織(野球部)の成果に結び付いていることを実感させるために情報のフィードバックを欠かさなかった。

例えばロードワークならば成績の推移を記録し、グラフ化して渡すようにした。チームの成績もそうだし各部員の成績についてもそうした。

成果についての情報を積極的に与えることで彼らの責任をより明確にさせた。

それに付随して勉強会も開催した。どうすれば成果を上げることができるか考えさせた。

こうした取り組みが成果を上げ出し、みなみはマネジメントを次のステップに進ませることを決意した。

「マーケティングだけでは企業としての成功はない。‥‥したがって企業の第二の機能はイノベーションすなわち新しい満足を生み出すことである。」

イノベーションこそみなみが次に取り組む課題であった。

「イノベーションとは科学や技術そのものではなく価値である。組織の中ではなく組織の外にもたらす変化である。イノベーションの尺度は外の世界への影響である。」

「イノベーションの戦略は既存のものはすべて陳腐化すると仮定する。」

頭の切れる後輩マネジャーの文乃は、高校野球においてすでに陳腐化しているものは「送りバント」と「ボール球を打たせる投球術」であると考えた。

この二つの常識的戦術を捨てることで野球部にイノベーションを起こすことを提案し、加地監督に了承を得た。

「送りバント」は打高投低の著しい現代野球にそぐわなくなっていると考えた。
「ボール球を打たせる投球術」は投球の切れや勢いを失わせるため投手の伸び悩みを招いていた。

この作戦は『ノーバント・ノーボール作戦』と名付けられた。



高校野球のイノベーションのあり方がこうなるとは思いもよりませんでした。イノベーションの意味が非常に分かりやすく伝えられていると思います。

どのような仕事であっても常識を疑って今までのやり方がすでに時代遅れになっていないか検討しなければいけないということです。

私は昔の感覚しかもっていなかったので、現代野球が打高投低になっているのは知っていましたが、そこから「ノーバント・ノーボール作戦」が導かれるとは考えもしませんでした。

ドラッカーの原則を普段から意識している人間でも、刷り込まれた常識の問題点にはなかなか気がつかないものです。

話は跳びますが、幕末ドラマで尊王攘夷(天皇を尊び外国船を打ち払って鎖国する)が当時の常識であったことが思い起こされました。現代からみれば全く無意味な考え方ですが、当時の人の大多数はそれが当たり前でしたので数々の悲劇が起きたわけですね。

固定観念の問題は人間社会の永遠の課題なのかも知れません。


(つづく)

2010年3月12日金曜日

高校野球部女子マネージャーとドラッカー④

みなみの後輩の女子マネジャー(文乃)は、魅力的な練習メニュー作りに取り組んだ。

まず、試合にあって練習にないものは何かを考えた。

1、競争
2、結果
3、責任

そこで文乃は練習にチーム制を導入した。
チームをいくつか作り互いに競争させ、結果に責任を持たせる方式で練習を行うようにした。

「仕事を生産的なものにするには、四つのものが必要である。すなわち
①分析である。仕事に必要な作業と手順と道具を知らねばならない。
②総合である。作業を集めプロセスとして編成しなければならない。
③管理である。方向づけ、質と量、基準と例外についての管理手段が必要である。
④道具である。   」

みなみ、文乃、加地監督はチーム制の練習の改善に取り組んでいった。

まず、練習方法を徹底的に分析した。分析の指標として練習試合を増やし、そこでの結果を成長を図るデータとして活用しようとした。
練習方法は日ごとに変化し、大きく様変わりしていった。管理法の導入である。

さらにチームごとに目標を設定し、部員に示した。それをもとに部員自身で練習方法を決めさせ、自己管理をさせるようにした。

「自己目標管理の最大の利点は、自らの仕事ぶりをマネジメントできるようになることにある。自己管理は強い動機づけをもたらす。適当にこなすのではなく、最善を尽くす願望を起こさせる。」

最後は道具である。PCを最大限に活用し、膨大なデータやスケジュールを処理していった。

「働きがいを与えるには、仕事そのものに責任を持たせなければならない。」

みなみはチーム制の練習の中にさらに細かく責任を組織することに取り組んだ。

チームごとにリーダーを決め、管理運営の責任を持たせた。
リーダー以外のメンバーには別の役割を与えた。
チーム内での攻撃、守備、走塁の上達法を考えさせ、成果に責任を持たせた。
例えばロードワークやランニングは走塁担当者が練習のやり方を考えるようになった。





ドラッカーはテイラーの科学的管理法を現代のマネジメントに利用できるように改良しました。

テイラーは動作や時間を分析することを基本としましたが、ドラッカーはその分析した部分を全体へとまとめること、つまり「総合」を重んじているわけです。

現代は知識社会であり、知識社会における仕事は総合というプロセスを経ないと生産的なものとならないわけです。

また、仕事を自己管理させるというのがドラッカーの主張であり、それが本来の目標管理制度の在り方です。多くの会社で行われている目標管理制度とはかなりニュアンスが異なるものです。

知識社会では仕事のプロセスの適切さを本人以外に知ることが難しいというのがドラッカーの主張です。ですから結局成果から判断するしかないわけで、本人ができるだけ高い成果を上げるために目標を設定し、実行させることが大切なわけです。

そのため仕事の取り組みを「見える化」し、各種情報を本人にフィードバックすることが大切になります。

ポイントはビジネスマンは成果でしか判断できないこと、マネジャーは当人が最大成果を上げることを支援するために仕事を明確化し、責任を負わせ、情報をフィードバックさせることが必要になります。

(つづく)

2010年3月11日木曜日

高校野球部女子マネージャーとドラッカー③

教師であり野球部の監督の加地は優秀な能力を持っていたが自信を失っていた。

「専門家にはマネジャーが必要である。」

みなみは専門家(加地)のマネジャーとなる決意をした。

「専門家が自らのアウトプットを他の人間の仕事と統合するうえで頼りにすべき者がマネジャーである。‥マネジャーは専門家のボスではない。道具、ガイド、マーケティングエージェントである。

逆に専門家は、マネジャーの上司となりうるし、上司とならなければならない。教師であり教育者でなければならない。」

まさに加地は教育者(教師)であった。そこでみなみはそんな加地(専門家)のガイド(通訳)となることを決意した。

練習試合には大敗したが、その後のミーティングで雰囲気が変わった。みなみは今こそ成長の機会であると考えた。

「成長には機会が必要である。いつ機会がくるか予測できない。準備しておかなければならない。準備ができていなければ機会は去り、よそへ行く。」

準備はできていた。野球部とは何かを定義し、目標を決め、マーケティングをしてきた。
また専門家である監督の通訳となった。部員たちの声を彼に伝え、彼の声を部員たちに届けてきた。彼の知識と能力を全体の成果に結び付けようとした。彼のアウトプットを他の人間の仕事に統合しようとしてきた。

「人のマネジメントとは人の強みを発揮させることである。」

「人は最大の資産である。」

みなみはそれまで苦手にしていた後輩の女子マネジャーの強みを生かした。頭の良さなどの強みを監督の通訳係とすることで発揮させることにした。そのマネジャーは監督に貢献することで成果を上げ始めた。

まだ問題があった。
野球部の練習には魅力がなかった。練習が面白くないので部員たちはさぼるのだった。

「企業の第一の機能としてのマーケティングは、今日あまりにも多くの企業で行われていない。言葉だけに終わっている。」

みなみはマーケティングを生かして、魅力的な練習メニューを作ることを後輩女子マネジャーに頼んだ。



この本の独創的なところはドラッカーのいうところのマネジャーが野球部の女子マネージャーであって、監督が専門家(プロフェッショナル)という設定になっていることです。

組織図上の役割とは別に実質的な役割設定を与えているということでしょうか。

ドラッカーにはエグゼクティブ(一流ビジネスマン)という概念がでてきますが、この本のみなみはエグゼクティブであり、実際の役職以上のパフォーマンスを出しているということでしょう。

(つづく)

2010年3月10日水曜日

閑話休題-言志四録

今週浜松で行われたShizuginship(静銀の勉強会)のセミナーのテーマが「言志四録」でした。
講師は名古屋大原学園理事長の杉山巌海氏です。

経営セミナーはテクニカルなものが多くなりがちですが、名著をテーマにするのもたまにはいいものです。



さてこの言志四録は幕末の儒者・佐藤一斎によってまとめられた教訓集のようなもので、西郷隆盛をはじめとする幕末の志士に多数の信奉者がいたといういわれがある本です。

私がこれを初めて読んだのは30代後半ぐらいの時でしたが、年を経ると違った文句に共感を覚えるようになったりします。

その中から処世術的なものをいくつか現代訳を私が省略してご紹介します。


・真に大志ある者は、小さな事柄をも粗末にしないで勤め励み、真に遠大な考えを持つ者は些細なこともおろそかにしない。

・今時の人は口癖のように忙しいという。しかし、そのしているところを見ると、実際に必要なことをしているのは十のうち一、二にすぎず、つまらぬ仕事が十のうち八、九である。

・若い時は経験を積んだ人のように十分考えて手落ちのないよう工夫するのがよい。年をとってからは若者の意気と気力を失わないようにするがよい。

・人が賢いか否かは初めて見たときに直覚した印象が多くの場合間違いがない。

・思いがかなった時こそ一歩下がる工夫をするべきである。尊貴をきわめたものは引くことを考えておかなければ必ず後悔する時が来る。

・人と話すときは相手の長所を話させるがよい。自分に益するところがある。

・できるだけ大所高所に目を付ければ、道理が見えて迷うことはない。

・十分考えてこれが最善であると決定して、やむにやまれない勢いで活動すればいささかも行き詰らない。


といった感じです。

なるほどというものが多くあります。

一方で聖人の話であるとか老荘思想の話とかもありますので、読んでいてためになるなと思える言葉の比率は1~2割といった感じです。

それは自分がビジネスシーンに真っ只中にいるために関心の持ち方がそうなっているということなのだと思います。

さすがに今は日常的に宇宙の真理を考えることはありませんが、また何年かすると違った見方になるのかもしれません。


私は講談社学術文庫の全4巻シリーズを持っています。
まとめて買うと多少高めですが、まあずっと読み続けていく類の本ですからコストパフォーマンスは良いでしょう。

高校野球部女子マネージャーとドラッカー②

野球部の定義と目標も決まったので、みなみは次の課題に取り組んだ。

「企業の目的は顧客の創造である。‥企業は二つだけの基本的機能を持つ。それがマーケティングとイノベーションである。その二つだけが成果をもたらす。」

「マーケティングは顧客からスタートする。‥『われわれは何を売りたいか』ではなく『顧客は何を買いたいか』を問う。」

そこでみなみは「野球部を甲子園に連れていく」という自分の欲求を言うのではなく、野球部のメンバーなどに対してマーケティングを行っていった。

将来起業家となるべく心身を鍛練し人脈を築く目的の部員、自分の実力を確かめたいだけで責任を負うのが重荷のキャプテン、打撃成績最低であるためレギュラーであることに悩む部員、野球が面白くなくて悩む部員、監督が嫌いでふてくされているピッチャー‥といったことが明らかになった。

「マネジメントは生産的な仕事を通じて働く人たちに成果をあげさせなければならない。」

みなみは野球部員たちにどうやったら成果を上げさせることができるか考えた。

「焦点は仕事に合わせなければならない。‥仕事がまず第一である。」

「働きがいを与えるには、仕事そのものに責任を持たせなければならない。そのためには①生産的な仕事 ②フィードバック情報 ③継続学習 が不可欠である。」

これにもとづいてみなみはマネジャーの仕事の設計を行った。



成果に焦点を合わせて仕事を設計するというのはドラッカー流の組織構築の基本です。

そのためにマーケティングが必要であるという組み立ては「非営利組織の経営」の実践そのものです。

ドラッカーは非営利組織であっても成果を上げなければ存続できないし、したがって社会的意義を持ちえないと考えていました。

(つづく)

2010年3月9日火曜日

高校野球部女子マネージャーとドラッカー①

しばらく最近話題の本について解説していきます。
この本は相当話題のようでドラッカー・マニアの私に「あの本どうですか?」と聞く人がたくさんいます。

これはドラッカーのエッセンシャル版マネジメントを読んだ高校野球の女子マネージャーが、ドラッカーの原則に従って野球部を見事、甲子園に出場させるというお話です。もちろん架空の話です。

著者の岩崎夏海氏はあの秋元康氏の事務所で働いていたのだそうで、さまざまのTV番組にかかわったほか、最近ではアイドルグループのAKB48のプロデュースも手掛けていたそうです。


岩崎夏海『もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの「マネジメント」を読んだら』ダイヤモンド社、2009年   定価 1,680円




ひょんなことから、みなみは都立進学高校の弱小野球部のマネジャーを務めることになった。

マネジャーの仕事が分からないみなみは辞書でマネジャーが「管理や経営をする人」と書いてあったのでそんなものであると勘違いをした。

そこで本屋でたまたま見つけたドラッカーの「エッセンシャル版 マネジメント」を読み、その通りにやろうと決意した。

そこで最初に目にとまった言葉は「‥根本的な資質が必要である『真摯さ』である。」というものだった。みなみはその言葉に衝撃を受けた。

「あらゆる組織において共通のものの見方、理解、方向づけ、努力を実現するには『われわれの事業は何か。何であるべきか。」を定義することが不可欠である。」
に基づき「野球部とは何か?」を考えた。

そのために「企業の目的を使命を定義するとき、出発点はひとつしかない。顧客である。」という原則に基づいた。

その結果、高校野球部の顧客とは、親、学校、東京都、東京都民、高校野球連盟、高校野球ファン、そして野球部員であると考えた。

そして野球部の使命とは「顧客に感動を与えること」と定義された。

つまり野球部とは顧客に感動を与える組織ということを前提にマネジメントすることとなった。






まったく意表をついた設定ですが、ドラッカーを知るのに大変便利な本かもしれません。

話の展開はご都合主義的で、実際の経営はそううまくいくとは思えませんが、よくできていると思います。

非常に省略したまとめ方ですのでわかりにくいかもしれませんが、雰囲気を読み取っていただければと思います。


(つづく)

2010年3月8日月曜日

オフィスの環境整備

当社では環境整備のコンセプトとして「2S直角平行」を提起しています。

要するに、手軽に、見た目だけを少しずつ手直ししていくというコンセプトで、業種を問わずに適用できる点が長所です。

最近、日刊工業新聞社からでている「『見える化』で管理・間接部門まるごと大改革」という書籍を入手しました。

その本の基本的なコンセプトは、製造業では工場の現場で高いレベルで5Sが実践できているが、間接部門ではそれができていない。だから5Sを全社的に広めることが必要だという観点に立つものです。

その中に次のような話がありました。

‥‥次のような行為や考え方は絶対禁止である。   

・思いつき
・成り行き
・言われるがまま
・中途半端
・やみくも
・やりっぱなし


さて、2S直角平行というコンセプトは「お手軽」で「基準を作らない」というものです。
すると、形式的には上記の考え方と抵触する可能性があるわけですね。

私はそれぞれの話は矛盾しないと考えています。つまりそれぞれの考えが前提としている局面・状況というものの相違に注目すれば整理が可能であると思っています。

これは社内で宿題としているものですから、またの機会に解説したいと思います。

閑話休題 -Y社訪問

静岡銀行の交流会でよくお会いするY社のS常務から電話がありました。

先日のパーティでたまたま旧友をご紹介したのですが、S常務がその会社を訪問したいということで、仲立ちをしてほしいとのことでした。

S常務は積極的な性格で、交流会などでご挨拶した方の会社に良く出向くようです。

そこから話が広がってY社の環境整備やISOの話になり、近々私がY社の環境整備を見学しに出かけることになりました。


他の勉強会と少し違うのはこの交流会ではオフでこうした勉強の輪が広がるという点でしょうか。

当社では環境整備を戦略を支える重要な柱と考えており、あちこちの会社の事例を参考にさせていただいています。

しかし、飛び込みで見学をお願いするわけにもいかないですから、こうした機会が増えたことは交流会のメリットですね。

現在、一緒に参加する人がいないか声かけをしているところです。
他社の事例をみることが一番勉強になりますからいい機会になると思います。

2010年3月6日土曜日

書評 「強い者は生き残れない」

吉村仁『強い者は生き残れない』新潮社、2009年  定価1,260円






生物学ないし進化論の観点からビジネスをとらえた本です。

非常に面白い観点なのでご紹介します。

強いものではなく、環境変化に対応できた者が生き残る。

生物にとって最も大切なのは変動する環境の中で生き残ること。
そのために生物は「共生」したり「群れ」や「家族」といった協力体制を作ってきた。

人間社会ではまた「一人勝ち」を避けるための制度として民主主義が発展した。

人類の歴史は栄枯盛衰の繰り返し。文明の勃興期には人は国や民族のために利他的行動をとるが繁栄すると利己的行動をとる者が増えると考えられる。

経済学でゲーム理論がはやっているが、これは間違い。ゲーム理論は成員(プレーヤー)がすべて利己的行動をとると仮定されている。成員に内面化されている社会規範による制約が考慮されていないのは間違い。

社会的な足かせがないと仮定するゲーム理論が経済学に導入された結果、市場原理主義が台頭した。おかげでだれも勝てないような金融崩壊が起きた。

経済学が見落としているのが「富の有限性」。例えば漁業を自由化すると魚をとりつくし、後は船を売り払う戦略がベストということになる。

現在は「長期的利益」のために「短期的利益」の追求を控え、共同行動をとることが大切。最後まで生き残るのは進化史が教える通り「共生する者」である。

生物学の視点というのは意外に政治学・経営学・経済学といった社会科学の仮定として使えるんですよね。この本もそうしたものであるわけです。

こうした本を読み、マクロ的な状況を認識して、そこから足元を見つめなおすのもたまには必要でしょう。

2010年3月5日金曜日

書評 「経営の教科書」

新将命『経営の教科書』ダイヤモンド社、2009年  定価1,680円



昨日まで連載していた「社長の教科書」とは違う本です。
経営者に人気の新将命(あたらしまさみ)氏による社長学です。
いいところだけまとめてみました。

新氏は、ビジネス環境が厳しい今こそ経営の原則の確認が必要であるといいます。
ドラッカーの経営学が見直されている状況を端的に表す言葉であると思います。

概要は以下の通りです。


ヒトは大きなことを信じた時に大きな仕事をする。だから「ビジョン」を浸透させることが極めて大切。

経営者には情熱がかかせない。情熱を燃やす方法は2つ。①短期と長期の納得目標を追い続ける ②情熱に火をつけてくれる人と付き合う

大局観をみがくには「(多面的・複眼的視点)」「(短期でなく長期で見とおす)」「(根本に目を向ける)」の3つを重視する。

経営者が目指すべきは新規開拓より既存顧客の固定化。そのためには顧客を感動させるようなプラスアルファの付加価値の提供が欠かせない。

「目標設定」は極めて重要。目標を持たない社員と持つ社員ではあげる成果が全く違う。

経営者には「胆識」が必要。モノを知り(知識)、自分の判断を加え(見識)、かつリスクを恐れず決断・断行する能力。

一人の力には限界がある。企業を成長させるには部下に任せる必要がある。

社員を行動させ、結果を出させるためには経営者は人間関係力を高める必要がある。


新氏もドラッカー的な発言をする人です。もっとも経営の基本を押さえようとすると必ずドラッカー的になりますが。


本書が目を引くのは新規顧客よりも既存顧客重視を掲げていることです。これは「社長の教科書」の小宮一慶氏と全く同じ発言です。ドラッカーも10年後も現在の顧客・商品が4分の3の位置を占め続けていると述べています。

しかし、新氏の主張は「既存顧客を感動させるプラスアルファの価値をつけろ」という点で強力です。同じ商品・サービスを提供し続ければ必ず飽きられます。

京都の老舗のお店のご主人がこういっていました
「うちは江戸時代から『変わらない』といわれ続け、それが信用のもとになっています。しかし、本当は『変わらない』と言ってもらうために毎年大きく変えているんですよ。」
今まで聞いた経営者の話の中で一番ためになった言葉でした。

水面下では必死の努力で変革しているのに、表面的には変わらないというところがすごいところですね。多くの場合、これを誤解していると思います。
「今の商品・サービスで満足してもらっているのだから変える必要がない。」という考え方のビジネスマンが結構いますね。

ただし、意図的に変化を感じさせないといけない場合もあるとは思います。これはマーケティング上の問題ですね。

2010年3月4日木曜日

書評 「社長の教科書」⑥

第6弾です。今回は「ヒト」に関する部分に少しふれます。


小宮氏は、人を思い通りに動かすといったたぐいの本をいくら読んでも、人を動かすことはできないといいます。

まず、小宮氏自身、人生において自分を完ぺきに動かすことができた日すら1日もなかったといいます。ましてや人を動かすことなどできるわけはないといいます。

そこで小宮氏が提唱するのは「良い仕事をした人をほめること」です。

この「良い仕事」について少し説明が必要です。

まず、小宮氏は多くの会社で実施されている成果主義人事制度はすべて誤りであるといいます。制度のほとんどは「良い仕事」を評価するのではなく、売上や利益を評価する仕組みとなっているため、良い仕事を目的としないで売上・利益を目的とする結果となっているというわけです。

ドラッカーも目標管理について同じ指摘をしています。


小宮氏も次のような表現で成果主義を批判しています。

「 ‥‥しかし、成果主義人事制度のもとでは、良い仕事をしなくても、お客様をだましても、法律をおかしてでも、果ては世界同時不況を引き起こすような事態を起こしてでも、稼ぐ社員が良い社員だとする会社が出来上がってしまったのです。」

ただし、この「良い仕事」を誤解してはいけないといいます。

自己満足の良い仕事ではダメで、顧客や周囲の人が認めてくれるような良い仕事でなければなりません。それは結果がともなった良い仕事でなければならないということです。

この辺りが難しいところなのですが、要するに例の「三人の石工」の話同じということですね。

2010年3月3日水曜日

書評 「社長の教科書」⑤

少し間が空きましたが第5弾です。



テーマは「マーケティングでお客さま第一を具体化する」です。


ドラッカーは販売とは売ること、マーケティングとは自然に売れるようにすること言っています。


お客様は、品質(Q)、価格(P)、サービス(S)のバランスを価値と認識してそれに対してお金を支払います。

小宮氏はQPSの組み合わせで他社との違いを出せるかがポイントになるとみています。

小宮氏はこの「サービス」を誤解しないようにといいます。

一般的な意味合いでのサービスは「品質」に含まれます。
小宮氏の言う「サービス」とは、お金を頂かないその他の要素ということのようです。

具体例として「店が近い」「店員と知り合いだから」「社名を知っていたから」「会社の評判がいい」「友達が持っていたから」「ニュースで見たから」といった理由で購入された場合、それは品質とも価格とも関係ないわけです。これがこの場合の「サービス」なのだそうです。

品質についてくわしくいうと、商品そのもののスペックや大きさ、付随するパッケージングなどをすべて含みます。百貨店等では店の包み紙の価値、つまりパッケージングが重要になります。

品質の場合、スペック、大きさ、太さ、重さ、色などのように要素に分解すると解決策が見えることがあると指摘します。

価格については一般的にいえば安いものが売れる傾向になります。しかし「値ごろ感」も大切で、あまりに安すぎると逆に信頼を得られず、買われないことになります。この値ごろ感の上限と下限を決めなければならないわけです。

最下限は「コスト」です。短期的にはライバルとの関係でコストより安く売ることもありますが、そのやり方は長期では続けられません。

そして上限は「お客様からみた価値」になります。その最もわかりやすい例がブランドです。ブランドの場合、その価値をいかに高く演出できるかが重要です。

最後にサービスです。小宮氏があげるサービスの要素は、立地・評判・品ぞろえ・人・デリバリー・納期・クレジット制度・店構え などです。

こうした要素をすべて考えながらマーケティングを行う必要があるわけです。

ドラッカーはマーケティングを全社的活動ととらえていますが、小宮氏はそれをわかりやすく伝えていると思います。


また小宮氏は会社のレベルを知るための面白い基準を提案しています。

原則: 既存顧客の売上の増減が会社のレベルのバロメーター

小宮氏は良い会社は良い顧客が長続きするといいます。つまり顧客を見れば会社のレベルが分かるわけです。
小宮氏は「友達を見ればその人が分かる」といわれるのと同じと説明しています。

京都では「いちげんさんお断り」という店が多くあります。長い歴史の中で既存の優良顧客を大切にすることで結果的に儲かると知っているというわけです。

そして最も望ましいのは既存の顧客が別の顧客を紹介してくれることであるといいます。これが一番の信用のバロメーターなのです。

2010年3月2日火曜日

貢献すべきことは何か?

上田惇生氏が週刊ダイヤモンドで連載している3分間ドラッカーで次の言葉が取り上げられていました。

「  自らの果たすべき貢献を考えることが、知識から行動への起点となる。
問題は何に貢献したいかではない。何に貢献せよといわれたかでもない。
何に貢献すべきかである。 」 (『明日を支配するもの』より)


このような事態になったのは人間の歴史においてごく最近の出来事だそうです。
それまで貢献すべきことは自分以外の何かによってきめられてきました。
農民は土地と季節で決められ、職人は仕事で決められ、家事使用人はご主人の意向で決められていました。

ところが知識労働者が仕事の主役となると彼らに何をさせるかが問題となったわけです。

一時期、人事部がその役割を担いました。しかし、人事部は知識労働者の世話役をこなすことはできないことが明らかとなりました。

そこで1960年代には早くも
「知識労働者は何に貢献するかを自分で考えよ。」
ということになりました。ドラッカーはこの点を主張し続けているわけです。

ポイントは何を貢献すべきかであって、何をしたいかではないということなのです

この点が重要ですね。非常に多くの場合、「何をしたいか」によって仕事が行われるようです。

いつも引き合いに出す3人の石工のたとえでいえば、

「何をすべきか」=「大聖堂の建設への貢献」 ◎
「何がしたいか」=「自身の満足できる一流の石積み」 ×

何をすべきかを知るためには次の3つの問いを考える必要があります。

①状況が求めるものは何か?

②価値があるのは何か?

③あげるべき成果とは何か?

2010年3月1日月曜日

書評 「ファストファッション戦争」

川嶋幸太郎『ファストファッション戦争』産経新聞出版、2009年 定価1,365円  



ファッション業界にはうといので、こういった業界の現状をコンパクトにまとめてある本は助かります。



以下概要です。


低価格で高品質の衣料、通称「ファストファッション」が人気を集めている。


ファストファッションとは、気楽に、安く、日常的に着ることができるファッション衣料のこと。ファストフードのような服という意味。特徴は「低価格」「高品質」。

ユニクロは、自社商品の企画・デザイン・生産・販売までをすべて手掛ける製造小売業(SPA)の業態を行っていることが特徴。大量生産・大量販売できるため低価格・高品質ながら高い粗利益を実現。

スウェーデン発のH&M(へネス&モーリッツ)は、高回転で最新モードファッションを店頭に並べるのが特徴。スピード重視のため品質確保は二の次。

ファストファッションには ①ファッション性 ②スピード ③低価格 ④クオリティ の4つの要素がある。どれを重視してどれを犠牲にするかのバランスが各社の独自性となる。
H&Mは④を犠牲にして①~③を実現している。ユニクロは③と④を重視している。

しまむらは商品を売り切る力が強く、メーカー・問屋に返品しないのでメーカー・問屋は安心して取引できる。そのため高品質商品を低価格で仕入れることができる。

米国発のフォエバー21は「消費者の求めるものを低価格で売り切る」というファストファッションの目的に最も忠実。今後、最も成長する可能性が高い。フォエバー21はしまむらと特徴が似ている。

ユニクロの第二ブランド、ジーユー(g・u)は2009年に990円のジーンズを販売して話題となった。するとこれに影響されてセブン&アイグループ、イオン、西友も低価格ジーンズを発売した。今後の激戦が予想される。