2011年5月27日金曜日

書評-「ユニクロ帝国の光と影」⑭

ユニクロのSPA構築の切り札となったABC改革についてはシリーズ⑤で説明しましたが、改めて確認すると




「作った商品をいかに売るかではなく、売れる商品をいかに早く特定し、作るかの作業に焦点を合わせる」というコンセプトを実務化することでした。

具体策は
1、中国の委託工場を大幅に絞り込む
2、生産を委託していた国内メーカーを中抜きする
3、品番数を半減させる
4、顧客との接点である店舗を起点にする
5、店舗の販売データをもとにして中国工場の生産進捗を週次で見直す

でした。

またこの機会に長年取引のあった医療品量販メーカーや卸との取引を大幅縮小・全面打ち切りにしました。

柳井氏は

「卸という業態が不要になったから取引を止めたんじゃない。生産を甘く考え、何回注意しても手抜きを止めなかったからだ。」

同様に商社の役割も大幅に少なくしたのです。

中国での生産はイトーヨーカ堂など他社でもやっていますが、柳井氏は

「彼らのPBの実力はユニクロの90年代どまりですね。一番の違いはユニクロが中国の工場と直接取引をしているのに対してGMSや百貨店の場合、いまだに工場との間にメーカーや商社が介在していることです。」

といっています。

仲介業者が増えるほどコストはかかるし、しかも小売り側の意図が伝わりにくくなり、その結果できあがってくる商品の品質とコストに雲泥の差がつくということだそうです。

柳井氏は次のような信念でSPAを作り上げたのです。

安くて良い服を作るためには企画段階から生産、物流、販売にいたるまで自社ですべてをコントロールできないといけない



(浅沼 宏和)