2011年5月17日火曜日

書評-「ユニクロ帝国の光と影」⑫

ユニクロは1991年から拡大路線に転じました。

当時のカジュアル品業界は他業種からの進出が始まっていました。

靴のチヨダやマルトミなどのほか、紳士服の青山商事が郊外店で強みを持つユニクロに興味を持ち買収しようとする動きなどもありました。

柳井氏はこうした競争激化という背景の中で、先手を打って全国展開する決断をしたのです。

カジュアル衣料品業界でリーダーシップを握ろうとする柳井氏の決意は並々ならぬものがありました。


こうした拡大路線を支えるにはメインバンクによる支援が不可欠です。

ユニクロのメインバンクであった広島銀行は柳井氏の拡大路線に不安を抱き、資金については十分な提供を行われなかったとのことです。

当時はバブル崩壊直後でもありましたから仕方のないことであったのかもしれません。
しかし、柳井氏はこの件についていまだに広島銀行に含むところがあるようです。


1991年からの3年間はユニクロは常に運転資金のショートのリスクを負っていたそうで、柳井氏は「薄氷を踏む思いを味わった」と感想を漏らしています。

しかし、この難局を乗り切った柳井氏は1994年に広島証券取引所での上場を果たしました。

これによって130億円の資金を手に入れたユニクロはようやく資金繰り難から脱したのです。

上場直後の94年の決算は、売上高333億円、経常利益27億円、店舗数118となっていたのです。


これは柳井氏の3カ年計画を上回る成果でした。


(浅沼 宏和)