2009年12月1日火曜日

知識労働者と成果

ドラッカーの経営理論で重視されている概念に「知識労働者」があります。




知識労働者というのは肉体労働者に対して作られた概念です。時代がすすむにつれて知識労働者の比率が高まっていきました。



肉体労働者とは単純な労働者のことです。
仕事内容やその出来栄えも外からはっきりわかります。ですから仕事の出来高に応じた賃金が割り当てられていればいいわけです。



知識労働者とは知識を基本において働く人のことで、現代社会ではその比率がどんどん高まっていきます。
しかし、知識労働者=ホワイトカラーというわけではありません。
現代では工場やお店の現場にも知識労働者に該当する人が多数いると考えなければならないのです。


たとえばユニクロの柳井正社長は、ユニクロの社員は知識労働者であると明確に述べています。
ユニクロにおける知識労働者の頂点にある「店長」の優秀な人は役員と同等の待遇なのだそうです。




知識労働者の問題として「その人の仕事の成果が見えにくい」という問題があります。



これについてドラッカーはおもしろいたとえを引用しています。



あるビジネス誌に風刺漫画が掲載されていました。
大変立派な重役室のドアが開いています。
そしてその奥には立派なデスクを前にして目をつむり、深刻な顔をした貫禄ある経営者が一人座っているのです。


そのドアの外に若手の社員が2名、中をのぞきながらひそひそと話し合っています。



「社長は事業計画を練っているのかな?それとも寝ているのかな?」



このように知識労働者の仕事は外から見えません。
彼、彼女の仕事がはっきりと知るためには成果を見るしかないわけです



ですから知識労働者が中心となった現代の組織社会においては成果にこだわることが適切な社内コミュニケーションとなります。



個人の成果が見えにくいため、それをどのように明らかにしていくかが現代の経営の一貫した課題といえます。


付け加えると、組織の成果は一人では出せません。いろいろな人間が同じ目標に向かって力を結集することでしか成果が出せないのです。


したがって自分のあげた成果とは「最終成果に対する貢献」という形で考えなければならないのです。



最近、「見える化」とか「可視化」という言葉がはやっています。この言葉が注目されている理由は知識労働者の仕事の複雑化であると思います。