2011年3月31日木曜日

貢献-可能性の追求

自らの貢献を問うことは可能性を追求することである。

そう考えるならば、多くの仕事において優秀な成績とされているものの多くが、その膨大な可能性からすればあまりに貢献の小さなものであることが分かる。


                        『経営者の条件』より



ここにドラッカーが自身の最高傑作を尋ねられた時に「次回作だ」と答えた考え方の秘密があります。


自分の能力がもっと磨かれていて、もっと時間管理をうまくやっていればさらに大きな成果が上がったはずです。

その仕事を自分自身以上にうまくこなし、より大きな成果をあげたであろう人は何千人もいるはずです。

自分があげた成果に満足してしまうのではなく、

「本来、もっと大きな成果があがってもおかしくない。ビジネスパーソンとして自分の能力をもっと磨かなければならない。より一層集中して仕事をしなくてはならない。」

と戒める心が「次の仕事が最高傑作なのだ」という言葉を言わせるわけです。


                  


(浅沼 宏和)

視野を広くする-貢献という視点

貢献に焦点を合わせることによって、自らの狭い専門やスキルや部門ではなく、組織全体の成果に注意を向けるようになる。

成果が存在する唯一の場所である外の世界に注意を向ける。

自らの専門やスキルや部門と、組織全体の目的との関係について徹底的に考えざるを得なくなる。

‥その結果、仕事や仕事の仕方が大きく変わっていく。


                        『経営者の条件』より



成果というゴールから「やるべきこと」、つまり貢献を考えるようになります。

それは「自分がやりたいこと」「できそうなこと」から考えをスタートさせることと正反対のことになります。

成果、責任、貢献を中心に据えるということは広い視野で仕事を見ることと同義です。

またこの広い視点からモノを見ることができなければ必然的に大きな成果は上がらないことになります。

成果、責任、貢献を中心にしているかどうかが有能なビジネスパーソンであるかどうかの分かれ目です。


(浅沼 宏和)

貢献する-成果と責任との関係で

成果をあげるには自らの果たすべき貢献を考えなければならない。

‥組織の成果に影響を与える貢献は何かを問う。そして責任を中心に据える。


                      『経営者の条件』より



ドラッカーのマネジメントでは「成果」が目標です。

すると貢献とは成果に直接つながる行動のことを意味することになります。


つまり貢献とは成果から逆算した行動のことであり、その価値はあがった成果によって判定されることになります。


ビジネスパーソンは成果をあげることが必須であるため、貢献という行動を起こす責任が伴っていることになります。

これが 成果、貢献、責任 というドラッカー理論の主要概念の関係性です。


(浅沼 宏和

2011年3月28日月曜日

◇東京電力・本社のマネジメント不在と現場のリーダーシップ

週刊ダイヤモンド4月2日号は、震災問題一色です。その巻頭を飾ったのが東電問題です。

悠長な初動が呼んだ危機的事態 国主導で進む東電解体への序章


このブログでも東電のマネジメントの拙劣さについてはドラッカー理論との対比を通じて何度も検討してきました。

今回の記事にはこのブログとの重複する部分もありますが、まとめておきたいと思います。


ある政府関係者は東京電力の対応に怒りをあらわにする。

「2号機の燃料棒が露出したとき、東電側は『撤退したい』と伝えてきた。撤退したら終わりだった。絶対に止めなければならなかった。」

あの時点で撤退とは無責任極まりない。この政府関係者は事故の初動から東電の対応に不信感を抱いていた。‥‥

地震発生時に、すでに原子炉内を冷やすシステムは動かなくなっていました。

そこで東電はまず電源車を送り、電源復旧を図ろうとしました。しかし、接続部分が水没していたため、結果的に失敗したそうです。

すると1号機で水蒸気の発生で破裂の危険性が高まりました。本当はこの時点で水蒸気を外に逃がし圧力を下げる必要があったのです。


この水蒸気の排気について本社は非常に消極的だったそうです。

そこで現場責任者であった吉田昌朗所長が陣頭指揮によって排気を行おうとしたのですが、本社経由でしか現地に連絡できなかったため、この指示が遅れました。

翌日、菅総理がヘリで現地に飛び、「排気しろ」と指示を出したことで吉田所長の背中を押す結果となったのだそうです。

この間、丸一日の時間の空きがあり、廃棄は行われたものの水素が建屋に漏れ、水蒸気爆発に至りました。

この初動の一日の遅れは日本にとって、また世界にとっても取り返しのつかないものとなりました。

東電の現場には責任感の強いリーダーシップもある人材がいるようです。その活動を本社がつぶしているというのが現実のようです。


週刊ダイヤモンドの記者は、東電が会社内でことを済ませようとしていたと断定し、厳しく非難しています。

やはりこのブログでも指摘したように、2002年の事故隠しの発覚によって明らかになった東電の秘密主義、隠ぺい体質は温存されていたということであると思います。

その後も吉田所長のみごとなリーダーシップが発揮されているようで、


事態を好転させたのも本店ではなく現地の英断だった。‥‥

本店と現地は何時間も議論した。本店は『自衛隊の放水を止めてもらえ』とまでなった。だが吉田所長が『やる』と判断した。」

ぎりぎりの選択だったが、この工事は成功。現場でも本店でも拍手が起きた。

「本店がいろいろといっても吉田所長は『評論家はいらない』と取り合わなかった。彼がいなければ現場も本店もパニックだったろう。」


この「本店」とは本社のことです。踊る大捜査線の「本店=本庁」であったのと同じですね。

このブログで東電に厳しいことをいってきましたが、現場の方々の努力は本当に尊敬すべきことであると思います。

その成果を上層部が台無しにし続けていることには憤りを感じます。


(浅沼 宏和)

2011年3月26日土曜日

閑話休題-坂本光司教授『伸びる中小企業の条件』

法政大の坂本光司教授は「日本で一番大切にしたい会社」によって一気に全国区になりました。

私は6年前に坂本先生の編著である「キーワードで読む経営学」の中で経営学の歴史をまとめた部分を担当し、執筆しました。

あの執筆のおかげで経営学の歴史にはだいぶ強くなりました。坂本先生にはとても感謝しています。

先生は身長190cm以上はあり、学者とは思えないフットワークの良さがあるフィールドワーク中心のバイタリティあふれる研究者です。
顔つきのいかめしさと体格におされて一緒にお酒を飲んでいる時につい背筋が伸びてしまったことを思い出します。

坂本先生が社労士会のシンポジウムで伸びる中小企業の条件に語った内容が日経新聞に出ていたのでまとめておきたいと思います。



伸びる中小企業10カ条

① ある特定のマーケットに過度に依存しない

特定のマーケット・企業・商品への依存度が高いと、景気の影響をまともに受けてしまうということです。リスクの分散化を図る必要があるということです。

② 景気・流行を追わない

景気には波があり、流行は必ず廃れます。伸びる中小企業は本業を追うものです。

③ 成長の種まきを怠らない

人材確保・研究開発等は未来経費といった種類のものです。
未来経費には保証はないがやらなければ可能性はゼロということです。
低迷企業の圧倒的多数は成長の種まきをほとんどやっていないそうです。
坂本教授は未来経費を売上高の4%以上と考えているようです。

④ 自己資本比率を高める

坂本教授は売上高経常利益率と自己資本比率を重視しているようで、特に自己資本比率を強調しています。50%を最低目標としているようですが、これはなかなか厳しそうです。

⑤ 景気に左右されない自家商品を創造確保する

教授は「下請けは永遠にやる業態ではない」と提唱します。
12,13年でやめるべきであり、自家商品を扱うようになるべきであるといいます。
中小企業の場合、医療・介護・福祉分野など景気に左右されない商品が向いているといいます。

⑥ 敵を作らない

これは「競争見積もり」の対象となるような商品を作らないことだそうです。
いわゆるオンリーワン企業を目指そうという意味のことです。

⑦ 人本主義を貫く

社員、下請け、お客様、地域住民など会社にかかわるすべての人の幸せを考えることの意味です。
坂本理論の骨格です。

⑧ 好不況に関係なく人材を確保する

伸びる中小企業は不況期であっても人材採用を行います。人材の安定的採用を重視すべきということです。

⑨ 業績ではなく継続を重視する

リスクがあって利益率が10%のやり方よりも、リスクの少ない利益率5%のやり方を目指すべきだということです。
中長期の継続性の高い方を選ぶのが正しいということです。

⑩ 多角・多面・多重・多層人材を育成する

営業も生産もできる人材といった意味のようです。複合的な能力を持つ人材は「つぶしがきく」ということです。
中小企業はつぶしのきく人材をどれだけ揃えられるかが勝負です。



坂本先生はもともと静岡県では有名な先生でした。
圧倒的な中小企業の現場訪問によってその理論は支えられています。

個性が強い先生なのでセミナーを聞く経営者の側でも好き嫌いが分かれるようですが、良い企業が結果として上記の条件をそろえているという傾向はあるでしょう。


(浅沼 宏和)

2011年3月25日金曜日

時間管理の総括

時間管理のためには

①自由な時間を割り出す

②時間をまとめる

③まとめた時間がバラけるのを防ぐ


という3つの手順が必要という話をしました。


また、作業と仕事の違いから知識労働者は仕事に入る前には仕事の段取り(時間計画)ができている必要があること説明しました。


ドラッカーはこう述べています。


時間の管理は継続して行わなければならない。


これは毎日時間管理をするという意味合いもありますが、それ以上に形骸化した時間の使い方がないか定期的にチェックする必要があるという意味もあるのです。


継続的に時間の記録をとり、定期的に仕事の整理をしなければならない。

そして自由にできる仕事の量を考え、重要な仕事については締め切りを設定しなければならない。

                       「経営者の条件」より




期限を区切るというのはとても重要な手法であると思います。


「今月中旬」「一週間ぐらい」といったあいまいな表現はやめて、「23日の夕方までに」といった具体的な決め方をするべきでしょう。


大きな成果をあげている人は、緊急かつ重要な仕事とともに気の進まない仕事についても締め切りを設けたリストを作っている。

それらの締切日に遅れ始めると時間が再び奪われつつあることを知る。

時間は希少な資源である。時間を管理できなければ何も管理できない。

                           「経営者の条件」より


これを戒めの言葉にしたいと思います。

ちなみにドラッカーは100%ムダなく時間を使うことは不可能であるとも言っていますので、ホッとしますが。


(浅沼 宏和)

2011年3月24日木曜日

自由な時間の意味

ほとんどの人は、二次的な仕事を後回しにすることで自由な時間を作ろうとする。

しかし、そのようなアプローチではたいしたことはできない。

心の中で、また実際のスケジュール調整の中で、重要でない貢献度の低い仕事に依然として優先権を与えてしまう。

時間に対する新しい要求が出てくると、自由な時間や、そこでしようとしていた仕事のほうを犠牲にしてしまう。

数日あるいは数週間後には新しい危機や些事に食い荒らされて、せっかくの自由にできる時間は霧消している。


                             「経営者の条件」より

つまり仕事の順番に注目するだけでは時間管理ができないということです。

では、何をするべきか?



まずはじめに本当に自由な時間がどれだけあるかを計算しなければならない。

次に適当なまとまりの時間を確保しなければならない。

そして常に生産的でない仕事がこの確保済みの時間を蚕食してはいないかと目を光らせなければならない。


                    「経営者の条件」より



つまり、自由な時間の割り出し ②まとまった時間単位にする ③バラけるのを防ぐ ということです。

これはかなり自覚的な努力が必要です。

朝仕事を始めるときになって「さて、今日は何をしようかな?あれをしようかな?これをしようかな?」といった仕事ぶりは許されないということです。


仕事開始時には、今日はどれだけの雑務があり、自由な時間は何時間あるのか?それをどのように使い、それに対する成果・期待・目的は何かが明らかになっている必要があるということです。


すると前日の夜か当日の早朝にはこれらの時間計画が割り出されていなければならないわけです。

これが肉体労働者と知識労働者の違いです。

単なる作業であればひたすら設定された能率向上を目指せばよいわけです。しかし、仕事であれば時間管理を磨きあげてより大きな成果を目指さなければならないわけです。

私は仕事作業をこのように区分して考えています。


時間を徹底的に活用し、大きな成果をあげようとする人は仕事に入る前に段取り、つまり時間計画が立案されていなければならないわけです。


(浅沼宏和)

2011年3月23日水曜日

時間管理と環境整備

ドラッカーは時間の浪費要因としてシステムの欠陥先見性の欠如をあげています。

混乱が繰り返し起きる場合、それは予知できるものです。

ですから「予防するか事務的に処理できる日常の仕事としてルーティーン化しなければならない」というわけです。

「繰り返し起きる混乱はずさんさと怠慢の兆候である」とも述べています。ここから環境整備論がでてくるわけです。



良い工場は見た目に退屈である。混乱は予測され、対処の方法はルーティーン化されている。そのため劇的なことは何も起こらない。

よくマネジメントされた組織は、日常はむしろ退屈な組織である。そのような組織では真に劇的なことは昨日の尻拭いのためのから騒ぎではない。
それは明日をつくるための意思決定である。


というわけです。

環境整備の質が高い企業は業績も良いという「マーフィーの法則」的な一般認識がありますが、あながち間違いではないということです。


(浅沼宏和)

2011年3月22日火曜日

時間は普遍的制約条件

東電の社会的責任については一旦棚上げし、5つの成果能力を中心に考察を進めることにします。

議論が行きつ戻りつするかもしれませんがよろしくお願いします。


さて、時間というわかりやすい資源に注目することで、成果に直結する行動を増やそうとするのがドラッカーの基本思想です。

時間は、誰でもどんな組織でも平等に与えられています。ためておくこともできず、買い取ることもできません。ですから時間をうまく使うこと=大きな成果と定義できるわけです。

成果をあげた人は「時間をうまく使った人」以外の何者でもないわけです。

個人の成果はなかなか見えるようになりません。

ですが最終的な成果が上がっていない以上、なんらかの不適切な時間の使い方があると考えます。

それは時間の記録によって明らかにすることができるというのがドラッカーの意見です。

これは卓見ですが、どの程度のレベルで実行すべきかはなかなか難しいところであると思います。

私は、一日をせいぜい午前・午後の2つ、夜まで仕事があるようなら3つ程度に区切り、そこで何を行ったか(成果が上がったか)を一日の終わりに評価すればよいと思っています。

また、その日の夜、ないし翌朝に1日の仕事の計画を立て、目指すべき成果をはっきりさせます。

そして実行し、仕事の終わりに評価する。この単純な行為を繰り返していけばよいと思っています。

詳細にやろうとするとなかなか長続きしませんが、予定通りなら 7~8割の出来ならそれ以下なら× といったようにしるしをつけておきます。予定以上ならをつけます。この程度なら無理なく続けられます。

このような記録をつけておくと、不思議なもので自分でそれなりの成果を目指す行動が自然と取れるようになります。

私は最も初歩的なレベルの時間管理はこのようなものであるべきであると考えています。

これ以下となるとなかなか成果能力が高まらないことでしょう。


(浅沼 宏和)

2011年3月18日金曜日

◇米政府の援助打診を辞退した件について

yahooニュースに以下の記事がありました。

東京電力福島第一原子力発電所の事故を巡り、米政府が原子炉冷却に関する技術的な支援を申し入れたのに対し、日本政府が断っていたことを民主党幹部が17日明らかにした。


 この幹部によると、米政府の支援の打診は、11日に東日本巨大地震が発生し、福島第一原発の被害が判明した直後に行われた。
米側の支援申し入れは、原子炉の廃炉を前提にしたものだったため、日本政府や東京電力は冷却機能の回復は可能で、「米側の提案は時期尚早」などとして、提案を受け入れなかったとみられる。


 政府・与党内では、この段階で菅首相が米側の提案採用に踏み切っていれば、原発で爆発が発生し、高濃度の放射性物質が周辺に漏れるといった、現在の深刻な事態を回避できたとの指摘も出ている。



 福島第一原発の事故については、クリントン米国務長官が11日(米国時間)にホワイトハウスで開かれた会合で「日本の技術水準は高いが、冷却材が不足している。
在日米空軍を使って冷却材を空輸した」と発言し、その後、国務省が否定した経緯がある。
 
 
 
もし事実であれば論外な対応です。
 
ドラッカーは成果をあげる大前提として真摯さについて述べています。そして最善を尽くす姿勢について強調しています。
 
 
私は研修において「最善を尽くす」ことの意味を次のようなたとえでを使って説明してきました。
 
 
質問
 
身内が重度の脳外科手術を控えていたとする。
 
「神の手」と呼ばれる有名な脳外科医が執刀すれば助かる確率が高い。
 
だが、かかりつけの病院の医師のスキルはカリスマ医師に比べれば低い。
 
仮にかかりつけの医師の執刀によって患者が助からなかった場合、この医師の責任は問われないだろうか?
 
またどのような条件を満たしていればプロフェッショナルとして十分な職責を果たしたと言えるのだろうか?
 
 
この回答の基準が「最善を尽くす」「知りながら害をなすな」です。
 
まず、このかかりつけの医師があらゆる手だてを尽くしていたのか?ということです。
 
仮に自身のスキルでは成功の確率が低く、カリスマ医師にお願いすれば治癒する可能性が飛躍的に高まるのであれば、このカリスマ医師の執刀をセッティングするよう努力すべきであるということです。
 
諸事情からそれができず、この患者が頼りうる範囲内において自身の執刀が最も可能性が高いのであるという事情があって、この手術が正当化されうるということです。
 
これが「知りながら害をなすな」ということです。
 
 
また、実際の手術においても「これ以上ほんのわずかな付け加えもできないほどに手を尽くした」という確信を持てたかという基準です。
 
これが「最善を尽くす」ことの約束を果たしたかどうかの実質的基準です。
 
そしてこれは執刀者本人にしかわからないことですが、その時に「神々が見ている」という、自身の良心に尋ねてみて答えを出すということです。
 
 
この心構えのことを「真摯さ」とドラッカーは表現しています。
 
 
上記の記事が事実であるならば、政府と東電の対応は歴史的な大失態です。
 
加えてプロフェッショナルの倫理基準も満たしていません。
 
 
今週は延々と原子炉問題を扱っていますが、この件は日本の歴史上まれにみる影響を与えた事例ですので、予定を変更して一定の落ち着きを見せるまで、ドラッカーのマネジメント論との対欧関係も含めて検討し続けていきます。
 
 
 
(浅沼 宏和)