自らの可能性を問うことは、可能性を追求することである。
そう考えるならば、多くの仕事において優秀な成績とされているものの多くが、
その膨大な可能性からすればあまりに貢献の小さなものであることが分かる。
『経営者の条件』より
可能性はあまりに大きいということです。
ですから、「結構いい成績だ」と自分で考えてみても、それで満足してはならないということです。
超一流の打者は3割打ち、二流は2割6分なわけです。差はたった4分です。
しかし、一流の3割打者であっても7割のミスを犯しています。
可能性として考えると4割は十分ありうるはずですね。それを理解すべきであるということだと思います。
ドラッカーは、過去の最高傑作は何かと聞かれ「次回作だ」と答えました。
チャップリンも「次回作だ」と答えています。
超一流の名声を確立し、あくせくする必要のない作曲家のヴェルディは、それでも晩年に難局を作曲した理由を問われて、「今までずっと失敗してきたので挑戦した」と答えました。
いずれも可能性としての成果の大きさを十分理解している発言です。