また原発事故を題材にマネジメント問題を考えてみます。
東電および日本政府について海外から徐々に厳しい指摘がなされ始めています。
要するに「いったい何をもたもたしているのだ」ということです。
今回の場合、ドラッカーのリーダシップ論の次の内容を考えてみる必要があると思います。
船が沈没しかけているときに会議を開く船長はいない。
命令をする。船を救うために全員がその命令に従う。
意見も参画も関係ない。危機にあっては階層と服従が命綱である。
しかも同じ組織が、ある時には議論を必要とし、ある時にはチームを必要とする。
『チェンジリーダーの条件』より
ドラッカーはリーダーシップを具体的仕事の遂行ととらえています。
先週、ニュースステーションで原発対応の初日のもたつきの検証をしていました。
そこで動いていれば、おそらくだいぶ現状とは違っていたでしょう。
法的な問題、現在の政治状況等複雑な問題があるでしょうが、自体の緊迫性を明確に理解している人間がトップレベルに一人か二人いればと思います。
ここでの越権行為は事後に正当化されたことでしょう。
リーダーに人を得なかったことで、今後数十年、場合によっては数百年の付けを払う可能性もあるわけですから、この問題は厳しく検証していく必要があります。
毎日流されている記者会見では、ほとんど責任の表明がなされていませんが、そもそもこれほどの損害が出た以上、「まさかこれほどの津波が来るとは思わなかった」という責任回避は許されません。
ビジネスパーソンは結果責任を負うしかないわけですから。
(浅沼 宏和)