週刊ダイヤモンド4月2日号は、震災問題一色です。その巻頭を飾ったのが東電問題です。
悠長な初動が呼んだ危機的事態 国主導で進む東電解体への序章
このブログでも東電のマネジメントの拙劣さについてはドラッカー理論との対比を通じて何度も検討してきました。
今回の記事にはこのブログとの重複する部分もありますが、まとめておきたいと思います。
ある政府関係者は東京電力の対応に怒りをあらわにする。
「2号機の燃料棒が露出したとき、東電側は『撤退したい』と伝えてきた。撤退したら終わりだった。絶対に止めなければならなかった。」
あの時点で撤退とは無責任極まりない。この政府関係者は事故の初動から東電の対応に不信感を抱いていた。‥‥
地震発生時に、すでに原子炉内を冷やすシステムは動かなくなっていました。
そこで東電はまず電源車を送り、電源復旧を図ろうとしました。しかし、接続部分が水没していたため、結果的に失敗したそうです。
すると1号機で水蒸気の発生で破裂の危険性が高まりました。本当はこの時点で水蒸気を外に逃がし圧力を下げる必要があったのです。
この水蒸気の排気について本社は非常に消極的だったそうです。
そこで現場責任者であった吉田昌朗所長が陣頭指揮によって排気を行おうとしたのですが、本社経由でしか現地に連絡できなかったため、この指示が遅れました。
翌日、菅総理がヘリで現地に飛び、「排気しろ」と指示を出したことで吉田所長の背中を押す結果となったのだそうです。
この間、丸一日の時間の空きがあり、廃棄は行われたものの水素が建屋に漏れ、水蒸気爆発に至りました。
この初動の一日の遅れは日本にとって、また世界にとっても取り返しのつかないものとなりました。
東電の現場には責任感の強いリーダーシップもある人材がいるようです。その活動を本社がつぶしているというのが現実のようです。
週刊ダイヤモンドの記者は、東電が会社内でことを済ませようとしていたと断定し、厳しく非難しています。
やはりこのブログでも指摘したように、2002年の事故隠しの発覚によって明らかになった東電の秘密主義、隠ぺい体質は温存されていたということであると思います。
その後も吉田所長のみごとなリーダーシップが発揮されているようで、
事態を好転させたのも本店ではなく現地の英断だった。‥‥
本店と現地は何時間も議論した。本店は『自衛隊の放水を止めてもらえ』とまでなった。だが吉田所長が『やる』と判断した。」
ぎりぎりの選択だったが、この工事は成功。現場でも本店でも拍手が起きた。
「本店がいろいろといっても吉田所長は『評論家はいらない』と取り合わなかった。彼がいなければ現場も本店もパニックだったろう。」
この「本店」とは本社のことです。踊る大捜査線の「本店=本庁」であったのと同じですね。
このブログで東電に厳しいことをいってきましたが、現場の方々の努力は本当に尊敬すべきことであると思います。
その成果を上層部が台無しにし続けていることには憤りを感じます。
(浅沼 宏和)