2011年3月22日火曜日

時間は普遍的制約条件

東電の社会的責任については一旦棚上げし、5つの成果能力を中心に考察を進めることにします。

議論が行きつ戻りつするかもしれませんがよろしくお願いします。


さて、時間というわかりやすい資源に注目することで、成果に直結する行動を増やそうとするのがドラッカーの基本思想です。

時間は、誰でもどんな組織でも平等に与えられています。ためておくこともできず、買い取ることもできません。ですから時間をうまく使うこと=大きな成果と定義できるわけです。

成果をあげた人は「時間をうまく使った人」以外の何者でもないわけです。

個人の成果はなかなか見えるようになりません。

ですが最終的な成果が上がっていない以上、なんらかの不適切な時間の使い方があると考えます。

それは時間の記録によって明らかにすることができるというのがドラッカーの意見です。

これは卓見ですが、どの程度のレベルで実行すべきかはなかなか難しいところであると思います。

私は、一日をせいぜい午前・午後の2つ、夜まで仕事があるようなら3つ程度に区切り、そこで何を行ったか(成果が上がったか)を一日の終わりに評価すればよいと思っています。

また、その日の夜、ないし翌朝に1日の仕事の計画を立て、目指すべき成果をはっきりさせます。

そして実行し、仕事の終わりに評価する。この単純な行為を繰り返していけばよいと思っています。

詳細にやろうとするとなかなか長続きしませんが、予定通りなら 7~8割の出来ならそれ以下なら× といったようにしるしをつけておきます。予定以上ならをつけます。この程度なら無理なく続けられます。

このような記録をつけておくと、不思議なもので自分でそれなりの成果を目指す行動が自然と取れるようになります。

私は最も初歩的なレベルの時間管理はこのようなものであるべきであると考えています。

これ以下となるとなかなか成果能力が高まらないことでしょう。


(浅沼 宏和)