信長は最晩年において、常時10万人の軍勢を動かしていました。
この軍勢の維持コストを考えてみたいと思います。
津本氏によると、10万人の軍勢の1か月の食費は1万5千石であるそうです。
信長は他の戦国大名と違って、常備軍を持っていましたから農閑期に軍事行動を休むということがありません。したがって年間の食費が18万石になります。
この他に彼らの給料が少なく見て一人2石で、合計20万石です。
その他、馬の飼料他諸経費が相当額かかっていると考えると、軍隊の経常費用は年間60~80万石程度であると考えられます。その他、非経常費用が50~100万石はかかるでしょうから都合、110万石~180万石を年間軍事費用と推定しました。
京に上ったころの信長の軍事費用と比べてみても、石高との比率はだいたい実効税率約50%、sらにその税収の40~50%弱が経常コストとなっていると考えられるわけです。(晩年の総石高700万石程度とみる)
他にも安土城を作ったり、いろいろな経費を使っていますから、商業勢力からの軍事費用(矢銭)の徴収や土木事業についての諸大名への割り当てが相当あったと考えられます。
また、軍隊の経常的な維持コストはどの大名でも基本的に同じであると考えられます。
すると、武田信玄が最晩年に京に上るとき、その子供の武田勝頼が長篠の戦の際に動かした軍勢の費用は甲斐・信濃の2国しか持たない武田軍にとって長期的行動が不可能であることが割り出せます。
信長は信玄と家康が浜松で戦った際に(三方が原の戦い)は、あまり援軍を送っていません。
信玄の軍は3万人ですから、1か月の軍事費用が少なくとも1万石はかかります。
しかも食料については甲斐の国から運んでこなければならず、3か月分の食糧1万5千石を運ぶロジスティックスを維持することは困難であると考えられるわけです。経済的に言って、信玄は京都に上って軍勢を維持することは不可能であったといえます。
食費・人件費・その他諸経費だけに注目するだけで、戦国大名の可能な行動範囲を割り出せるという視点は津本氏独特のものと言えるでしょう。ちなみに、10万人の食費とロジスティックスに着目する点は津本氏の考えですが、あとの計算は私がフェルミ推定に基づいて行いました。
信長の天下統一活動をコスト計算してみると色々なことが分かってきますね。