書類を整理していたところ、日経新聞の2005年11月18日の経済教室の切り抜きが出てきました。内容はドラッカーの死去を受けての追悼論考です。
昨年はドラッカー生誕100周年でしたし、最近、ドラッカーの再評価が進んでいる状況ですので、改めてその内容をまとめてみたいと思います。
論者は、世界に通用する数少ない経営学者である一橋大・野中郁次郎教授でした。
まず、総論として次のように書いてあります。
11日に死去した経営学者ピーター・ドラッカー氏の最大の功績は「マネジメント」など組織と経営に関する新しい概念を生み出したことだ。それを可能にしたのは、科学的な分析にかたよらず、自らの多彩な経験に基づく直感を重視した、卓越したバランス感覚である。
以下、まとめていきます。
・ハーバート大のレビット教授(マーケティングの世界的権威)は「すべての西洋哲学はプラトンの業績の脚注にすぎないというが、それは経営学におけるドラッカーについてもあてはまる」と述べている。
・おそらく世界の企業経営者に最も読まれているのはドラッカーの著作である。
・しかし、内容の鋭さゆえに批判も受けた。彼は自身を文筆家と称し、著作は定理やモデル、脚注を取り入れるという学術的スタイルをとらなかったためジャーナリストにすぎないというのである。
・批判の多くはドラッカーの見解をきちんと分析したうえでの批判ではなく、その内容の先見性を見落としている場合が多かった。
・ドラッカーの最大の功績は、社会や企業の現場を冷徹に観察し、組織とマネジメントの概念を導き出したことにある。普通に使われている「経営戦略」「事業部制」「目標管理」「民営化」といった概念はドラッカーが生み出した。
・当時の先端企業GMにかかわった経験から『会社という概念』が書かれ、GEやIBMなど一流企業へのコンサルティング経験から名著『現代の経営』が書かれた。
・彼の出発点は政治学の分野であり「直観」による認識の重視はそこから来ている。彼の著作における鋭い分析は歴史学の知識と政治学の概念を基盤としている。
・政治学では分析能力だけではなく、文脈(状況)を洞察する「直観」力が重視され、多様な学問の成果を応用することが求められる。
・ドラッカーは社会現象の分析において「分析」と「直観」のバランスが卓越している。
・ドラッカーは高度経済成長期の日本とであって大いに触発されている。また、デミングやデュランらとともに日本企業の経営改善に大きく貢献した。
・ドラッカーが日本に親近感を抱いたことと、日本の歴史や文化が文脈依存で「感覚的」であることと無縁ではない。
・ドラッカーは企業を含めたあらゆる組織は社会的貢献がその存在意義であると一貫して主張している。そして利潤動機ではなく価値観・倫理が重要であると指摘する。
・市場原理主義者や効率優先の経営者が多い現状を容認せず、経営の本質とは何かを改めて自問すべきである。
以上が、野中教授による論評です。
私はもともと政治学を学ぶことからスタートしたのですが、大学入学当初、教授から「政治学は諸科学の王様である」と聞かされたことを思い出しました。
政治学は体系性が乏しく、大学新入生程度の知識では学問としての目的が見えにくいものでした。
またその後大学で読まされた本も、プラトン、マックス・ウェーバー、ホッブス、ルソー、モンテスキューといったように哲学・啓蒙思想・社会学の古典的名著が多かったのですが、「いったい、こんなもの読んで何の役に立つのか?」と当時は思ったりもしました。
しかし、こうした深掘りする読書の習慣ができたおかげでその後も哲学書や歴史書を抵抗なく読めるようになり、継続的に読み続けてきたことは今の仕事でも役に立っています。
現在、ドラッカーの著作を読みつつ、実務における現象を深く考えることを日々行うことが多くなったわけですが、かつての回り道のような読書が結局近道であったように思えます。
ドラッカーの体系も比較的難解とはいわれますが、上記の著作に比べたら情報雑誌並みの読みやすさです。
私がドラッカーを読んで、共感できる理由もその政治学的な背景にあるのではないかとふと思いました。