2011年2月1日火曜日

閑話休題- 猟師の真剣勝負

江戸時代に「渡世伝授車」という、今風にいえばビジネス書のような本がありました。

この本にはいろいろな職業の成功のポイントが面白おかしく紹介されています。

その中に次のような話があります。



昔、網を打って小鳥を捕る猟の名人がいました。

名人は自分の腕を自慢して、 「私が網を打てば藩の剣術指南役といえども剣を十分に働かすことはできない」 とつい言ってしまったのです。

これを伝え聞いた剣術師範は激怒し、網打ち名人を呼びつけて勝負を挑みました。


名人は驚き、自身の軽口について土下座をしてわびたのですが剣術師範は許しません。

そこでとうとう鳥網打ちの名人と剣術師範は勝負をすることになりました。

剣術師範が切りかかると、名人はヒラリと体をかわし、すかさず打った網が剣術師範をからめ取ってしまいました。

剣術師範は面目を失い、顔を真っ赤にして再勝負を願ったのですが、鳥打ち網の名人は次のように答えたのだそうです。


「まず心を静めてください。何度やっても同じことです。

 私は若年よりこの技を磨きぬいて、生活の糧を得て妻子を養ってきました。

 私はたった5寸にも満たない小鳥さえ取り外すことはありません。

 ましてや飛ぶこともできない5尺のあなたさまをからめ取ることができないはずはございません。」

これを聞いた見物の人々はどっと笑って 「なるほど、そりゃ道理だ!」 と口々に言ったそうです。


この名人の答えは、まさにプロフェッショナル論そのものです。

生活の糧を得るために精根こめて技を磨きぬくことは武芸の師範にも勝る意識レベルが必要ということです。

ドラッカーは「最善を尽くす」ことは約束できると述べていますが、そこでの「最善」というのはこの鳥網打ちの名人の意識レベルのものを指していると思います。



(浅沼宏和)