先週後半は深田氏の著作に基づいてマネジメント批判について検討してきました。
深田氏のマネジメント批判の対案が
①勘・経験・度胸の重視
②他人が変わるより自分が変われ
の二つだけであるならば、マネジメント批判としては弱いのではないかと思いました。
確かに多くの経営者が経営の本質的な問題に取り組むというよりは経営ツールや手法の導入に気を取られている現状があるのかもしれません。
もしそうならば、手段と目的の取り違えですから大いに批判されてしかるべきです。
しかし、そうした現状の責任が「マネジメント論」全体にあるという主張は議論のすり替えであると思います。
ドラッカーのマネジメント論には深田氏が処方箋としてあげた二つの柱も含まれていると思います。
ドラッカーが「マネジメントを発明した男」と呼ばれるきっかけとなった1954年の『現代の経営』から深田氏の見解を覆す記述をいくつかあげたいと思います。
現代の経営でドラッカーは、事業をマネジメントの3つの側面をあげています。
① 事業のマネジメントは起業家的でなければならない。管理的・政策立案的仕事であってはならない。
② 事業のマネジメントは環境適応的ではなく創造的仕事でなければならない。
③ マネジメントは業績によって評価される意識的活動でなければならない。
この定義を読むだけでも深田氏の認識の誤りは明らかですね。
本書を読んで思ったのは「ドラッカーは誤解されやすい」ということです。
こうした基本的な誤解を解いていかなければ、せっかくのドラッカーの知的貢献が無駄になってしまいます。
このようなマネジメント批判が行われるのは「もしドラ」現象の負の側面ではないかと思います。
(浅沼宏和)