リーダーシップはカリスマに依存しない。
アイゼンハワー、マーシャル、トルーマンの3人は稀なほど強力なリーダーだった。
だが、いずれも爪の垢ほどもカリスマ性を持っていなかった。 (以下、アデナウアー、リンカーン、チャーチルが列挙される)
大事なことは、彼らが正しかったことだった。
カリスマ性はリーダーを破滅させる。柔軟性を奪い、不滅性を盲信させ、変化不能とする。
『経営者の条件』より
ドラッカーは“リーダーシップとは仕事である”と言っています。
仕事とは成果に向かうプロセスです。
つまりリーダーシップとは成果を明確にして、そこに向かうプロセスを段階に分けて、具体的な課業や役割を定めて、役割を配分し、必要な能力を開発し、全力で取り組むということなのです。
やるべきことが明確であれば人格的な影響力を駆使する必要もないわけで、仕事の成果が不明瞭で、そのプロセスがますます不明確であればどうにもならないということなのです。
中身がなくてカリスマ性があることほど困ることはありません。
ドラッカーはそうした英雄の例として、ヒトラー、アレクサンダー大王、ケネディを上げています。
リーダーシップを仕事とみることで、資質や個性の違いがあっても成果を上げることができるわけです。
(浅沼 宏和)