知識労働者とサービス労働者のあらゆる活動について、本来の仕事に必要か、本来の仕事に役立つか、本来の仕事がやりやすくなるかを問わなければならない。
答えが否であるならば、そのような活動は仕事ではなく雑事にすぎない。 (『ポスト資本主義社会』より)
最終目的を意識しなければ生産性を向上させることはできません。それは不必要な仕事を辞めることを伴います。やめるべきことをやめるというのは「集中」に必ず伴ってくるものです。
ドラッカーはこうしたことを「体系的廃棄」を呼んで非常に重視しています。
実際に仕事をしている人間こそが、何が生産性を高める役に立ち、何が邪魔になるかを知っている。したがって知識を持ち、技能を持つ者本人に責任をもたせることが必要である。 (『乱気流時代の経営』より)
ドラッカーは、知識社会においては本人だけが自身の成果達成を管理できると考えています。
だからこそレベルの高いビジネスパーソンになる責任は本人が負うことになるのです。
知識労働者とサービス労働者の生産性向上には、継続学習を組み込むことが必要である。知識は、その絶えざる変化のゆえに、知識労働者に対し継続学習を要求する。サービス労働者に対しても、継続的な自己改善努力としての継続学習を要求する。 (『ポスト資本主義社会』より)
自分自身でレベルの高いビジネスパーソンになっていくためには継続的に学び続けなければならないということです。
学習が途切れた時点で成果を上げるために必要な能力が失われてしまうのです。
生産性向上のための最善の方法は、他人に教えさせることである。知識社会において生産性の向上を図るには、組織そのものが学ぶ組織、教える組織とならなければならない。 (『ポスト資本主義社会』より)
ビジネスパーソンとしての研鑽の責任は本人にあります。そしてそのためには人に教えるという段階が必要になります。
つまり、生産性の向上にはビジネスパーソンのレベルアップが必要であり、そのためには各人が継続学習を行わねばならず、さらにそのために他人に教えなければならないということになるわけです。