上田惇生氏が週刊ダイヤモンドで連載している3分間ドラッカーで次の言葉が取り上げられていました。
「 自らの果たすべき貢献を考えることが、知識から行動への起点となる。
問題は何に貢献したいかではない。何に貢献せよといわれたかでもない。
何に貢献すべきかである。 」 (『明日を支配するもの』より)
このような事態になったのは人間の歴史においてごく最近の出来事だそうです。
それまで貢献すべきことは自分以外の何かによってきめられてきました。
農民は土地と季節で決められ、職人は仕事で決められ、家事使用人はご主人の意向で決められていました。
ところが知識労働者が仕事の主役となると彼らに何をさせるかが問題となったわけです。
一時期、人事部がその役割を担いました。しかし、人事部は知識労働者の世話役をこなすことはできないことが明らかとなりました。
そこで1960年代には早くも
「知識労働者は何に貢献するかを自分で考えよ。」
ということになりました。ドラッカーはこの点を主張し続けているわけです。
ポイントは何を貢献すべきかであって、何をしたいかではないということなのです。
この点が重要ですね。非常に多くの場合、「何をしたいか」によって仕事が行われるようです。
いつも引き合いに出す3人の石工のたとえでいえば、
「何をすべきか」=「大聖堂の建設への貢献」 ◎
「何がしたいか」=「自身の満足できる一流の石積み」 ×
何をすべきかを知るためには次の3つの問いを考える必要があります。
①状況が求めるものは何か?
②価値があるのは何か?
③あげるべき成果とは何か?