2011年5月31日火曜日

◆著書刊行のお知らせ 


6月15日に拙著が刊行される予定となっております。














世界一やさしいドラッカーの教科書

 浅沼宏和著 / ぱる出版

四六版 210ページ

ISBN978-4-8272-0644-9


1章 なぜ、ドラッカーのマネジメントが仕事に必要なのか

2章 仕事で成果をあげるための基本ルール

3章 リーダーシップで成果をあげる鉄則

4章 経営戦略を実行して最大成果をあげるために必要なこと

5章 マーケティングとイノベーションの実践ルール

6章 マネジメントの基本を押さえて“未来”を作り出そう



最近、ドラッカーの入門書が多数出ていますが、本書は体系的であることと、基本原則に焦点を絞っている点でタイプが異なるものとなっています。

学生でも読めるようにやさしい文体にしましたが、内容自体は決して初歩的ではないと思います。

コンセプトとしては「社長が社員に読ませたくなる本」というものです。

ぜひ一読していただければと思います。




(浅沼 宏和)

岡本太郎名言集

時代の革命児の言うことは一味違います。


・「いつか」なんて絶対ない。いつかあるものなら、今、絶対あるんだ。
 今ないものは将来にも絶対ない。

・自分に能力がないなんて決めて、ひっこんでしまってはダメだ。
 なければなおいい。決意の凄みを見せてやるつもりでやればいいんだよ。


・私は人生の岐路に立った時、いつも困難なほうの道を選んできた。

・弱気になって逃げようとしたら絶対に状況に負けてしまう。逆に挑むのだ。

・自分を大事にして傷つきたくない、そう思うから不安になるんだよ。


・挑戦した不成功者には再挑戦者としての新しい輝きが約束されるだろう。
 挑戦を避けたまま降りてしまったヤツには新しい人生などない。

・自分を賭けることで力が出てくるんで、能力の限界を考えていたら何もできやしないよ。


・手慣れたものには飛躍がない。常に猛烈な素人として危険を冒し、直感に賭けてこそ、
 ひらめきが生まれるのだ。


これはドラッカーの自分自身の強みを生かすという考え方に一致していますね。

強みとはチャレンジの中から生まれるものですから、おっかなびっくりできる範囲の中で小さくまとまろうとする考え方とは対極ですね。

ドラッカーの「強みを生かす」についてチャレンジをしないまま小さくまとまることと勘違いしている人がいるような気がします。



(浅沼 宏和)

2011年5月29日日曜日

書評-「ユニクロ帝国の光と影」⑯

ユニクロが原材料調達も含めてSPAを完成させたのが2004年か2005年ごろであったといわれています。

ユニクロのSPAの成功によって日本のファッション文化が変わりました。

ユニクロの価格と比べると今まで適正価格であると思われていた他社の衣料品がムダなコストのためにいかに高くなっていたのかが消費者に分かってしまったのです。

そして「頑張って高級品を買うことは恥ずかしいことであり、低価格であっても価値ある商品を選別して購入するのが賢い生活者である」という認識が広まったのです。

またユニクロは人気ブランドとしての地位も確立しました。



本書の筆者は柳井氏の強権的・独裁的な経営姿勢を批判しているのですが、そうでなければこれほどの企業には成長しなかったのではないかと思います。

成功者には毀誉褒貶が付きまとうものだと思いますが、経営者としての短所よりもかなりたくさんの長所の持ち主であるように思います。

長きにわたりましたが、今回で本書の書評は終わりです。

私としてもユニクロの経営戦略を時系列で整理できたことをうれしく思っています。



(浅沼 宏和)

2011年5月28日土曜日

書評-「ユニクロ帝国の光と影」⑮

柳井氏がABC改革によってSPAの原型を作り上げたのは2000年前後です。

次にSPAの改善のため原材料調達に着手しました。

柳井の決意は「アパレルにおいては原材料を制する者が小売りを制する」という言葉によく表れています。


商社や卸などに原材料の調達を丸投げすると品質のばらつきが出てきます。また当時は原材料の調達について値段に透明性もありませんでした。

原材料のコストは製造原価の7割を占めているので、その先の染め賃、縫製賃、物流コストなどと比べ物にならないほどアパレル業界にとって重要なことであったのです。

ユニクロは原材料調達にかかわることで店舗の売れ行き状況に合わせて在庫を調整する能力を格段に高めることに成功しました。

ユニクロは原材料調達を3段階に分けて行うことができ、店舗の売れ行きに合わせて色についても2段階目までは変更可能になっているのです。

こうしたことができるのは日本ではユニクロだけだそうです。これがユニクロの圧倒的な強さを支えています。

ユニクロは原材料調達の3段階システムを持っていたおかげでフリースブームが去った後に迅速に他商品への振り替えを行うことができ、推定で数百億円規模の損失を防いだと考えられています。


(浅沼 宏和)

2011年5月27日金曜日

書評-「ユニクロ帝国の光と影」⑭

ユニクロのSPA構築の切り札となったABC改革についてはシリーズ⑤で説明しましたが、改めて確認すると




「作った商品をいかに売るかではなく、売れる商品をいかに早く特定し、作るかの作業に焦点を合わせる」というコンセプトを実務化することでした。

具体策は
1、中国の委託工場を大幅に絞り込む
2、生産を委託していた国内メーカーを中抜きする
3、品番数を半減させる
4、顧客との接点である店舗を起点にする
5、店舗の販売データをもとにして中国工場の生産進捗を週次で見直す

でした。

またこの機会に長年取引のあった医療品量販メーカーや卸との取引を大幅縮小・全面打ち切りにしました。

柳井氏は

「卸という業態が不要になったから取引を止めたんじゃない。生産を甘く考え、何回注意しても手抜きを止めなかったからだ。」

同様に商社の役割も大幅に少なくしたのです。

中国での生産はイトーヨーカ堂など他社でもやっていますが、柳井氏は

「彼らのPBの実力はユニクロの90年代どまりですね。一番の違いはユニクロが中国の工場と直接取引をしているのに対してGMSや百貨店の場合、いまだに工場との間にメーカーや商社が介在していることです。」

といっています。

仲介業者が増えるほどコストはかかるし、しかも小売り側の意図が伝わりにくくなり、その結果できあがってくる商品の品質とコストに雲泥の差がつくということだそうです。

柳井氏は次のような信念でSPAを作り上げたのです。

安くて良い服を作るためには企画段階から生産、物流、販売にいたるまで自社ですべてをコントロールできないといけない



(浅沼 宏和)

中古車買い取りのガリバーの戦略マップ

二冊目のドラッカー本のための事例の整理をしています。

中古車買い取りのガリバーの戦略分析を行う予定なので戦略マップを作製してみました。

作成時間約1時間といったところでしょうか。

かなり大まかな図に見えるかもしれませんが、戦略の概要やポイントを知るには十分です。

私は短い時間で戦略を描き、実際の行って、うまくいかなかったらどんどん書きなおせばよいという考え方です。


また、上記の図にしても別の人が分析すれば全く違った図になるはずです。

戦略とは個別・具体的なものですから、この図の書き方自体が意思決定になるのだと思います。

「正しい戦略」というものがあって、それ以外は正しくないかのような考え方は間違いであると思います。

まあまあ正しい戦略がたくさんあって、後はどれを選ぶかというリスク・テーキングの問題です。



ガリバーのすごいところは中古車屋さんが売るのではなく、買うことに特化したことです。

一般ユーザーから買い取った中古車はそのままオークションで売りさばくというビジネスモデルです。


このモデルの前提となっているのは全国的な規模でのオークション会場の整備というインフラです。

このような環境変化を見て、イノベーションを起こしたのがガリバーです。


後からみるとそんな大したことがないような発想にも見えますが、それまでの常識をすべてさかさまにしてしまったわけですから相当な度胸がいったビジネスであったと思います。

ちなみにガリバーは業界経験者は入社させないとか。

既存の常識が邪魔をして、伸び悩むのでしょう。これは転換期にあるほとんどのビジネスに言えることであるとは思いますが。


(浅沼 宏和)

書評-「ユニクロの光と影」⑬

だいぶ間が空きましたが、SPA(製造小売り)についての説明をします。


柳井氏はユニクロ事業一本に絞ってから資金繰りや店舗拡大など以上に悩んでいたことがありました。

どうすれば安定的に、低価格で高品質なカジュアル衣料品を提供できるのかという問題です。

当初のユニクロは「品質よりも値段優先」でした。

国内メーカーから低価格の商品を仕入れ、値引きしたナショナルブランドを目玉商品として集客するという手法です。

「メーカーから仕入れてくる商品は、安いが品質は二の次だった。商品が売れ始めると、メーカーを経由して海外で作ってもらうようになった。
その段階では、品質管理体制が整っていないため、どうしても粗悪品が含まれてしまう。
仕入れ値が安いのでまともな商品をキチッと作ろうとすると生産工場が儲からないからだ。」


当時のアパレルでは非効率な流通と、委託販売制をとっていたことという問題点がありました。

委託販売制とは小売業者がメーカーや卸から仕入れた中から売れた分だけを支払い、売れ残ったら返品することができるという制度です。

柳井氏は3つの理由でこの制度を不合理と考えていました。

1、小売りにとって売れ残りリスクはないが、その分利益が低くなる。

2、流通の各段階で発生しているムダ・不効率は最終的に商品価格に上乗せされているため消費者の負担が大きくなっている。

3、商品企画がメーカーや卸主導となってしまい、小売り店舗の品ぞろえに一貫性がなくなり、しかも自由な価格設定ができず小売りの手足を縛ることになる。

柳井氏は85年に製造小売(SPA)というビジネスモデルに出会います。

アメリカではGAPがSPAへと転換を宣言したのが87年でした。

柳井氏は87年から10年間にわたりSPAへの転換を試みましたが、それは悪戦苦闘の連続だったそうです。

そのポイントは「生産管理」にありました。

ノウハウ不足で製造委託先のメーカーの品質管理が全くできなかったのです。

しかし98年に始まったABC改革によってSPCは本格的な体制となっていったのです。


(浅沼 宏和)

2011年5月26日木曜日

汝の時間を知れ-ドラッカー自身の時間管理

ドラッカー入門書の原稿の手直しがようやく終わってホッとしたのもつかの間、別の出版社で出すドラッカー経営戦略実践書の原稿書きが始まりました。

通常の仕事もありますし、うまく時間が使いきれていない自分にイライラしているときにドラッカーのエピソードが目に入りました。



記者:    「暇なときは何をして過ごされるのですか?」

ドラッカー: 「暇なときとは、どんな時のことかね?」


まだまだ時間管理に未熟な自分を思い知らされる言葉です。

ドラッカーは自身の強みを「書くこと」にあると認識していました。

ドラッカーは外部からの依頼に対して次のような葉書を送り返していたそうです。

ちなみにあれだけの業績を成し遂げたドラッカーには秘書はいなかったそうです。


興味を持っていただいたことに大変感謝いたしております。
しかしながら、記事および書籍の序文への寄稿、論文や書籍の評論、パネル・ディスカッションやシンポジウムへの出席、委員会や理事会などへの参加・出席、質問に対する回答、インタビュー、ラジオ・テレビへの出演などには一切応じることはできません。
予めご了承ください。


著名なクリエイターのドキュメンタリー番組を見ていると、非常に質の高い仕事を残している人たちはかなりストイックな生活を送っていることが分かります。

たとえば小説家の村上春樹氏は規則正しく決まった時間にデスクに向かう執筆スタイルだそうです。

ジブリ映画や北野映画の音楽で有名な久石譲氏は毎日5時間デスクに座って楽譜を書いている様子がTVで紹介されていました。

その他、スラムダンクやバガボンドで有名な漫画家の井上雅彦氏もほとんどこもりきりの生活をしている様子が紹介されていました。

このおふた方を紹介していたのはTBSの「情熱大陸」でしたが。

成果をあげるためには時間の投入が必要です。ムダな時間を削りに削り、成果の上がる領域にまとめて投入するという単純な原理を実行することが必要です。

偉大な業績は地味な日常が支えているということであると思います。





(浅沼 宏和)

2011年5月25日水曜日

閑話休題-ユニクロの戦略マップ

現在、ドラッカーの経営戦略本を準備するために有名企業の戦略分析をいくつかやっています。

私はドラッカーの経営戦略のモデル図式を考案して、それをバランス・スコア・カード風の戦略マップの改訂版として使っているのですが、資料がある程度整っていれば、だいたい2時間もあればそこそこの分析が可能です。

この写真はファーストリテイリング(ユニクロ)の戦略マップです。



これを整理したものはすでに昨年末のセミナーでも公表しましたし、その後、データエージェント社の小冊子「ドラッカー経営入門」でもご紹介済みです。


この内容をさらに簡略化すると

市場・顧客の領域は「年齢・性別・男女を問わない世界中全ての人」を相手にしていることが特徴的です。

そこに提供する価値が「部品としての服を高品質・低価格で提供する」ということです。

この間をつなぐのが「ブランドイメージとして新素材・日本の都会的かつPOPなイメージ」です。


この3つの成果領域を支える大本の土台がSPA(製造小売り)という生産体制の徹底です。

ヒト(知識)の領域では、生産体制を支えるベテラン技術者チーム、柔軟で戦略的な動きをするマーケティング部門、商品企画と素材開発を明確に分けた企画開発部門、そして最も重要なのがスーパースター店長に代表される現場スキルの底上げです。

この戦略マップを作って、その後各エリアの目標を定めれば経営戦略ができあがります。分析と逆の流れです。

7月下旬の出版ではこの図表を整理したもののほか、有名企業を4社、中小企業を5社分析して載せる予定です。



(浅沼 宏和)

大災害と日常的取り組み

私たちは、普通なら100年の間に経験するような「歴史」をわずか10年間で経験してしまった。
しかも、そのなかに「平和」はほとんど含まれていない。
だが、世界の大半は、特に先進工業国はその苦難を乗り越え、壊滅的な打撃から何度も立ち直ってきた。

しかも、そのたびに経済的、社会的、さらには政治的な方向性や推進力まで取り戻してきた。
なぜ、そのようなことが成し遂げられたのだろう。
それは普通の人々、企業や組織の問題に日々取り組んでいる普通の人々が、世界が崩れ落ちる間にも責任を果たし続け、明日に向かって働き続けてきたからだ。


これはドラッカーの言葉です。(『マネジメント・フロンティア』より)



私がドラッカーの入門書の目次を考え始めた直後ぐらいに東日本大震災が起きました。

桁の違った被害をニュースで見るたびに、マネジメントの日常的な取り組みの心構えを書いている自分にずいぶんギャップを感じていました。

「はたしてこんな地味なことに意味があるのだろうか?」といった感じです。

しかし、ドラッカーのこの言葉を見つけ、地道な取り組みこそ意味があるという確信を持つことができました。

上記の言葉は20世紀が終わろうとしている時期に書かれたものですが、まるで先月か今月にでも書かれたような気になってしまいます。

これがドラッカーの思想の生命力なのだとしみじみ思いました。


(浅沼 宏和)

2011年5月24日火曜日

制約条件としての社会的責任

 帝国データバンクは23日、2010年度に法令・倫理順守体制に問題を抱えて倒産した企業数が、09年度比22.3%増の115社だったと発表した。負債総額は09年度の約6倍となる計2兆6267億円。武富士(負債1兆4949億円)などの大型倒産が総額を押し上げた。



 調査は負債1億円以上の倒産のうち、法律違反などの問題事例を集計した。負債最大の武富士は過剰融資による過払い金返済が負担となり、昨年9月に会社更生法の適用を申請。06年の同種の調査開始以来、最大の負債額だった。
 
 
 
これはヤフー・ニュースからの転載です。
 
コンプライアンスに注目が集まりだしたのは90年代になってからです。
 
それが2000年代になると非常に目立つようになってきました。
 
それがさらに加速してきたと考えられるニュースです。
 
ドラッカーは8つの目標の一つに社会的責任をあげていました。
 
今にしてみるとドラッカーの鋭い観察眼には改めて驚かされます。
 
 
私は8つの目標のうち、社会的責任必要利益の二つを制約条件として理解しています。
 
このニュースからすると社会的責任については年々タイトな制約条件になっていると考えなければならなさそうです。
 
 
(浅沼 宏和)

書評-「なぜ桃太郎はキビ団子ひとつで仲間を増やせるのか」

岩崎聖持 『なぜ桃太郎はキビ団子ひとつで仲間を増やせるのか?』TAC出版、2011年 定価 1,260円


本書は作者の岩崎氏から当社に送られてきたものです。岩崎氏はこのブログをよくご覧いただいているそうで、そうしたご縁から送っていただいたそうです。

本書は中小企業の経営者向けのマーケティングの本です。

市場のおける独自のポジショニングをとるという戦略と、お客さんの記憶に残るストーリーを作ることの重要性を指摘しています。

特に後半はWebを使ったマーケティング戦略で、この方面に疎い私には勉強になりました。

普段、あまり戦略本を読まない経営者にはとても有益であると思います。イラストも親しみやすく、読むのに抵抗感がないでしょう。

概略は以下の通りです。

・いいものを作っていれば売れるというのはもはや幻想。
・こんな時代でも売れているものはある。

・高性能・高品質・低価格はもはや当たり前。
・「大きな物語」が崩壊し、「小さな物語」に参加するようになった。

・今の消費者にはこれまでのマーケティングは通用しない。

・消費者は「物語」を買いたがっている。

・なぜ桃太郎はキビ団子ひとつで鬼退治の仲間を増やせるのか?
それは桃太郎が「共感できる物語に参加する」ということのマーケティングに成功したから。

・お客様に記憶していただくことが重要。
・性能や価格で競うポジションは地獄。小さな会社は違う競争軸でポジショニングする。

・競争軸をずらして差別化し、それをストーリーで伝えよう。


といった感じです。

要するに差別化戦略を物語を作ることで実行しようということで、全くごもっともな指摘です。

この後、夢を語る場を提供する居酒屋、儲かりそうな会社ではなく未来の日本に本当に必要とされる会社に投資する鎌倉にある投資信託会社、などなど風変わりな物語を持っている会社が紹介されるわけです。

本書はシンプルなコンセプトをていねいに書くというスタイルです。
マーケティングが苦手な中小企業経営者の入門書としてうってつけです。



(浅沼 宏和)

2011年5月23日月曜日

スティグリッツ教授の警告

週刊ダイヤモンド誌上において、ノーベル経済学賞受賞者であるジョセフ・スティグリッツ教授が原発事故と金融危機に共通するリスク問題を取り上げていました。


・原発事故も金融危機も専門家たちはいずれも「リスクは制御できる」と公言していた。

・金融界ではデリバティブやクレジット・デフォルト・スワップといった高度で革新的な金融商品のおかげでリスクは経済全体に分散させられるようになったと主張されていた。
・金融危機はかれらが社会だけではなく自分自身すら欺いていたことを立証した。

・統計学にはほとんどまれにしか発生しないが、発生すると途方もない影響が発生するというファットテール分布という概念がある。これは通称「ブラックスワン」と呼ばれている。

・金融業でも原子力産業でもこのブラックスワンを軽視してきた。

・われわれは稀にしか起きない出来事を評価する実証的基準を持っていないため、適切な判断ができない。
・特に自分の判断ミスの代償を他人が払う時には自己欺瞞に走るインセンティブが働く。

ここからスティグリッツ教授は金融業界、原子力産業それぞれのリスクを説明します。

・金融危機後の不適切な対処によって大手金融機関は「窮地に陥ったら政府に期待できる」とのモラルハザードに陥っている。過度のリスクテーキングを助長するインセンティブ構造は変わっていない。

・原子力産業も同様で原子力災害が起きた場合の社会的コストや未解決の核廃棄物処理コストの問題は隠れた公的補助金に支えられる。つまりモラルハザードを起こす。


とまあ、あまり明るい話ではありません。

ブラックスワンについては固めの本がでていますが、私はまだ読んでいませんでした。

これを機会に「稀にしか発生しないがいったん起きるとすさまじい被害の出る場合」(ブラック・スワン)について読まなければと思った次第です。


(浅沼 宏和)

部品調達先の「集中」リスク

東日本大震災のダメージからの回復が急務となっていますが、今回の震災では輸送機器の部品調達体制の問題点が浮き彫りになりました。

自動車メーカー各社は3次下請け以降の調達先が想定外の集中をしていたことがわかって愕然としているそうです。

本来、下請けは1次、2次、3次と行くにつれてすそ野が広がるはずなのに実際には樽型の産業構造になってしまっていたわけです。

大手メーカーとしては従来、1次部品メーカーに任せておけば、コストと品質はクリアできていたわけです。

2次以降を把握しようすればコストアップになりますので、これまではやってこなかったわけです。

その代償として想定外の調達先集中リスクを抱え込むことになってしまいました。

ドラッカーは戦略とはバランスの問題であるといっていますが、品質・コストと非常時のリスク軽減という相いれない目標のバランスをどう取るかという問題はとても繊細な意思決定であると思います。

こうした流れの中で 安直な海外展開⇒国内の能力低下 といった事態が進行しなければよいのですが。


(浅沼 宏和)

2011年5月18日水曜日

閑話休題-ザ・ネクスト!

「長く続けてこられた理由をよく聞かれるけれど、それはひとつ、一回もちゃんと司会できたことがないのが悔しいからですよ」

これは日曜日に逝去された児玉清さんが「なぜアタック25はこんなに続いたんですか?」という質問に対する回答です。


ドラッカーはヴェルディが80歳を超えてオペラを作曲した際に「ずっと失敗してきたからもう一度チャレンジした」といったという話を良く引用しています。

ヴェルディの話と児玉清さんの話は同じですね。

これは「最善を尽くす」という真摯さの追求が行動原理になっている人なら必ず言うセリフです。

ドラッカーは「最高傑作は?」という質問に「ザ・ネクスト!(次回作さ)」と答えましたが同じ意味のことですね。

思わぬところでドラッカーの実践者を見つけたというところでしょうか。

謹んでご冥福をお祈りします。



(浅沼 宏和)

2011年5月17日火曜日

書評-「ユニクロ帝国の光と影」⑫

ユニクロは1991年から拡大路線に転じました。

当時のカジュアル品業界は他業種からの進出が始まっていました。

靴のチヨダやマルトミなどのほか、紳士服の青山商事が郊外店で強みを持つユニクロに興味を持ち買収しようとする動きなどもありました。

柳井氏はこうした競争激化という背景の中で、先手を打って全国展開する決断をしたのです。

カジュアル衣料品業界でリーダーシップを握ろうとする柳井氏の決意は並々ならぬものがありました。


こうした拡大路線を支えるにはメインバンクによる支援が不可欠です。

ユニクロのメインバンクであった広島銀行は柳井氏の拡大路線に不安を抱き、資金については十分な提供を行われなかったとのことです。

当時はバブル崩壊直後でもありましたから仕方のないことであったのかもしれません。
しかし、柳井氏はこの件についていまだに広島銀行に含むところがあるようです。


1991年からの3年間はユニクロは常に運転資金のショートのリスクを負っていたそうで、柳井氏は「薄氷を踏む思いを味わった」と感想を漏らしています。

しかし、この難局を乗り切った柳井氏は1994年に広島証券取引所での上場を果たしました。

これによって130億円の資金を手に入れたユニクロはようやく資金繰り難から脱したのです。

上場直後の94年の決算は、売上高333億円、経常利益27億円、店舗数118となっていたのです。


これは柳井氏の3カ年計画を上回る成果でした。


(浅沼 宏和)

2011年5月16日月曜日

書評-「ユニクロ帝国の光と影」⑪

柳井氏はユニクロの対象顧客を、ノンエイジ・ユニセックス(年齢性別を問わない)としてトレンド商品よりもベーシック商品を中心にするという方針をとりました。


流通コンサルタントの弁によると、ユニクロの独創性とはそれまでのカジュアル衣料品の概念を変えたことにあるということです。


具体的には、それまでのアパレル業界では年代・性別・好みごとに細かく顧客を絞り込むことが一般的でしたが、あえて顧客層を限定せずに性別・年齢の枠を超えた消費者を対象としたところに成功の原点があったということです。


私は本当に優れた戦略というのは数行で説明できるものであると思っています。

大成功をしたユニクロ事業にしても根本方針は3行で説明できてしまっているわけです。


柳井氏はユニクロ事業の出だしの様子からこの事業の将来性を確信し、これまで手掛けていた紳士服や婦人服からは手を引き、ユニクロ一本に絞っていきます。

1991年からの3年間は、毎年30店舗ずつの出店を行い、売上高で300億円突破という目標を設定したのです。



(浅沼 宏和)

2011年5月15日日曜日

書評-「9割がバイトでも最高のスタッフに育つ ディズニーの教え方」

福島文二郎 『9割がバイトでも最高のスタッフに育つ ディズニーの教え方』中経出版、2010年  定価 1,300円+消費税


ディズニーの教育訓練には定評があります。

本書はオリエンタルランドの教育研修を担当していた方の本です。

内容は具体的で良書です。

とてもドラッカー的な要素が多いと感じました。

主な内容をまとめます。

・東京ディズニーランドがいつも笑顔でピカピカである理由は、一言でいえば誰も手抜きをしないから。それは社員一人一人がリーダーシップを持っているから。

・ディズニーでは応募してきた人は基本的に全員採用。人は経験で変わり、育つという信念がある。

・理想の上司・先輩は「ゲストを良く見ている」「後輩を良く見ている」「改善点を見つけたらすぐに改善するための行動を起こす」

・後輩を注意する、忠告する、しかる上司先輩が少なくなった。



・ディズニーのミッション『すべてのゲストにハピネスを提供する』。このミッションは正社員・アルバイトの1人1人にまで浸透している。

例-ある優秀なキャストは、ゴミを拾っているときにゲストに何をしているかと聞かれて「私はパークに落ちている思い出のかけらを拾っているんですよ。」というウィットにとんだ返事をしたそうです。

・ディズニーの行動指針

1、安全性 ‥すべての大前提
・安全を重視した施設設計
・すべてのキャストが安全意識を持つ
・安全最優先のマニュアル・ルール作り

2、礼儀正しさ ‥ゲストをVIPとして迎える
・3つのキーワード「笑顔」「挨拶」「アイコンタクト」
・ゲストの望みに応える
・相手の立場に立って行動する

3、ショー ‥プロとして最高のショー、サービスを提供する
・ディズニールックを守る
・キャストとしてプロ意識を持つ

4、効率 ‥ムダを省く
・自分の役割をムダ・ムリなく果たす
・チームワークを大切にする
・ゲストのムダ、不満をカバーする


・リーダーシップに必要な2条件

①ホスピタリティ・マインドを持ち、さまざまな仕事上のスキルを実践する。そうして初めて相手の信頼を得ることができる。

②自分が模範となること


・後輩の最善を尽くす姿勢を評価する

・間違った考えに染まった後輩を変える。

・後輩に常に思いやりを持って行動させる。

・自分を成長させることに気付かせる。

・価値観を共有する。

・仕事の重要性を繰り返し繰り返し伝える。

・言行を一致させる。

・指示するときは理由も伝える。

・フィードバックされることで後輩は自信をつける。

・大きな目標を立てても失敗の可能性大。スモールステップに挑ませる。

・後輩に自立のチャンスを与える。


といった感じで実にシンプルです。

今回の震災の際でもディズニーランドの対応は際立っていたと聞きます。

ゲストを安心させるために笑顔を絶やさない、売店の商品を無料で配るなどなど、かなりレベルの高いサービスを実践していたということです。

(浅沼宏和)

閑話休題-犬のリーダーシップ

ネットでおもしろい記事を見つけました。

犬は独特の仕方でリーダーシップを発揮するというのです。



人類の最良の友、犬が郵便物をよだれまみれにして台なしにしても全然悪びれているように見えないのは、飼い主の人間が怒っているあるいは急いでいる時に事態をこれ以上悪化させない能力が備わっているというのだ

人間のリーダーの場合、世界各国の首脳が対立をも辞さないあるいは議論をふっかけるような振舞いに及ぶことにより自らの権威を示すのに対して、犬の場合、常に群れの中で最も忍耐強く、最も攻撃的ではない犬がリーダーになるという


こういう意外と知られていない犬の習性について書かれている『クレバー・ドッグ:人類の最良の友が教えてくれる人生のレッスン』(日本では未翻訳)の著者ライアン・オメーラ氏は語る。

「犬には様々な優れた点がありますが、トラブル回避を期待して飼い主が信じたがっていることを信じこませ、結果的に飼い主をだましてしまう能力があることがわかりました。」

「帰宅してあなたの愛犬が家の中のものを噛んでいるのを見つけたら、すぐしかりますよね。

そうして犬が情けない表情を見せたらあなたは“ああ、反省しているのだな、悪いと思っているのだな”って思いませんか?」

「罪悪感というのはとても複雑な感情です。

私は犬が罪悪感ややましさを覚えるとは思っていませんでした。

ですが、飼い主が自分のことで怒っていることを理解すると、瞬時に従順的な態度に代わるのです。

なぜなら犬はそうすることが効果的だとわかっているからです

飼い主たちはそんな犬の明確な態度を見て、“ああ、反省しているからもう叱らなくていいのだな”と判断するのです。」

オメーラ氏によると、人間の場合とは違って、群れのトップに立つリーダー犬は忍耐および従順さと似ている行動を示すという。


「群れに君臨するリーダー犬はこういった特質を持っています。
リーダーになる犬は他の犬を従わせるためにかみついたりせず群れの中で常に最も穏やかで、仔犬たちに見られる不愉快な振る舞いをも大目に見て許容するのです。」


「犬の群れのトップの姿勢は人間のとずいぶん違います。
人間のリーダーなら大きな声をあげ、人に対して指をつきつけたりしますよね。なぜなら人間の場合は自分のリーダーとしての正しさを証明しなければならないからです。」


「誰もそばに犬がいる時に口論を始めようとは思いません。でも口論をしないのは犬がすぐそばにいるからだとは普通思わないものです。

犬にはあらゆることをやわらげる力があるのです。犬のコミュニケーション能力は素晴らしいに尽きます。」



これは意表を突かれる話でした。

動物の生態や行動には人間の常識では推し量れないものがあります。

私たちが普段とらわれている先入観や常識を疑う機会となるものですので、こうした話は気になりますね。



(浅沼 宏和)

2011年5月12日木曜日

書評-「ユニクロ帝国の光と影」⑩

柳井氏のユニクロ一号店を出店したのは1984年です。

そのコンセプトは

10代の子供たち向けに流行に合った低価格のカジュアルウェアをセルフサービスで提供する

ことでした。

当時はバブル景気の助走期で、ファッション業界では高額なDCブランドが全盛期を迎えていました。

そうした店の商品は値段が高いだけでなく「ハウスマヌカン」と呼ばれる販売員がいてお客さんにとって敷居が高いものでした。

柳井氏はこうした風潮の逆を行ったわけです。


気軽にカジュアルを買える店として商品は1000円と1900円を中心にそろました。


柳井氏の父親はユニクロ出店に反対でしたが柳井氏はそれを押し切って開店しました。

結果としてユニクロは大成功をおさめました。


開店直後から大盛況で、最初の二日間は入場制限が必要なほどだったそうです。

客でいっぱいの店内を見て、柳井氏「金の鉱脈を掘り当てたような感触を持った」そうです。


この時の小郡商事の売上高は14億円、店舗7店 柳井氏はまだ35歳でした。


翌1985年に下関郊外にロードサイド型の2号店を出店。このときにユニクロの商品戦略が固まります。


休日に遠方から車に乗ってカジュアル衣料品を買いに来る20~30代のカップルやファミリー客を見て、柳井氏はユニクロの品ぞろえの基本となった3つのことに気づきました。


1、カジュアル衣料品には年齢・性別に関係なく需要があること


2、流行の商品よりもベーシックな商品により大きな需要があること


3、ナショナル・ブランド以外のプライベート・ブランドであっても顧客のニーズに合っていれば十分需要があること。

でした。

柳井氏はこれ以降、ユニクロの対象顧客をノンエイジ、ユニセックスとしてトレンド商品よりもベーシックな商品を中心に据えて売り場を組み立てる方針ととりました。

この方針は今もそのまま引き継がれています。



(浅沼 宏和)

書評-「ユニクロ帝国の光と影」⑨

柳井氏のビジネスの原点


柳井氏は1971年に早稲田大政経学部を卒業し、ジャスコでの短期間の修行を経て、山口県・宇部市にある父親の会社である小郡商事に入社しました。

柳井氏の父は地域の顔役的な存在であったようで、商才もあり、スーツなどの衣料を扱っている小郡商事のほかに建設会社なども経営していました。

柳井氏が入社してくると、その父親は会社の実印や通帳などすべてを柳井氏に渡して小郡商事の経営の一切を柳井氏に任せたそうです。柳井氏がまだ23歳の時でした。


柳井氏はその後10数年にわたって宇部市で紳士服、婦人服、カジュアル衣料の販売業を営んだわけです。


柳井氏は小郡商事の経営を続けていくうちに、紳士服、婦人服、カジュアル衣料それぞれの特徴の違いに気付きます。


紳士服のスーツは価格が高く利幅も大きいけれど、呉服と同じで商品の回転率がとても悪いのです。
売れれば儲かるけれど売れなければ在庫リスクが大きいのです。


婦人服は紳士服より粗利が低いうえに、流行のサイクルが短く、リスクが大きい割にもうからないそうです。


カジュアル衣料品は紳士服と違い、接客せずに売れるというメリットがあります。
しかし、商品の実力によって売れ行きが大きく左右される欠点がありました。


当時、洋服の青山などが郊外型チェーン店を展開し始めていましたが、柳井氏の小郡商事の紳士服事業程度の規模ですと到底太刀打ちできそうもなさそうでした。

ライバルの躍進を見ながら柳井氏は「カジュアルウェアで郊外型店をやったら面白いかもしれない」と漠然と考えるようになったそうです。

また宇部市という田舎町から出て、都会で勝負したいとも思うようになったそうです。



そんな時期に柳井氏はアメリカに視察に出掛け、大学生協を見て非常に興味を持ったのだそうです。

大学生協は学生のほしいものの品ぞろえが豊富で、それでいて接客がいらないセルフサービス型の運営方式です。
「売ってやろう」という商業的なにおいがなく、買う側の視点に立った店づくりがなされていました。

「本屋やレコードやのように気楽に入れる」方法をカジュアルウェアの販売でやったら面白いのではないかと思ったのだそうです。


この時点での柳井氏の戦略ポイントを簡単にまとめると


≪顧客・市場の領域≫

品ぞろえが豊富で気楽に入れるカジュアル店


≪流通チャネル≫

買う側の視点に立った店づくり


≪商品・サービス≫

大きな特徴はない


≪生産性≫

接客サービスのないローコストオペレーション


といった感じでしょうか。

この戦略ポイントを引き出す前提として3つの衣料品の性格の違い、紳士服業界の競合他社の動向等が影響しているわけです。

また1980年代に入るとアメリカでカジュアル衣料品専門のGAPとリミテッドなどが急成長するようになったのを見て、ますますその思いが強くなり、1984年ユニクロ1号店の出店へとつながったわけです。





(浅沼 宏和)

2011年5月11日水曜日

書評-「ユニクロ帝国の光と影」⑧

柳井氏は、SPA(製造小売り)のメリットとして、低価格・高品質の他に次のようなことを指摘しています。


1、100%買い取りが前提であるため、在庫を1社で負うことになり在庫リスクの管理が容易になる。
  自社で開発・販売している商品の売れ生きが悪ければ、売りきるまで値下げすることができる。

2、流通の川上から川下まで1社で管理するので、売れ筋情報を有効活用できる。



柳井氏は特に「売れ筋情報」“金の鉱脈”と呼んでいるそうです。

売れ筋情報を押えていることでユニクロはヒット商品を見つけ出すまで何度も実験することができるのです。


柳井氏によると

今までのヒット商品も、お客様の反応、売り場の社員や店長の意見、雑誌編集者の口コミなどちょっとしたことがきっかけで生まれ、その商品が翌年改良され、そのまた翌年にもっと改良されて販売されてヒットにつながっている。

現在の多くの小売業は自分で商品を作っていないので、そういうことよりも自分たちのアイディアを押し付け、「こんな風な商品を作ってきて!」とメーカーさんに指示するだけなので、長続きしないし、自分達のノウハウも貯まらない。
それでは成功しない。

ということだそうです。


これは機会を見つけるために外を歩きまわれといドラッカーの言葉に合致していると思います。

「外を歩き回る」とは外部との接点を多くするという意味です。データや統計にあらわれない兆候を探すことが重要であるという意味です。

そして機会とおぼしきものを見つけたら打ち手をうち、好感触のあったもの、つまり「予期せぬ成功」を拡大していくというやり方です。

そしてそのうまくいったものが新たな強みになるわけです。

これがドラッカーの言う「強みを生かす」ということです。


柳井氏の上記の発言は、ドラッカーのイノベーションの手順通りの行動であると評価できます。



(浅沼 宏和)

2011年5月10日火曜日

書評-「ユニクロ帝国の光と影」⑦

ユニクロの元社員が次のように言ったそうです。

ユニクロにはオリジナルのコンセプトというものがない。
言い換えれば、洋服を作る上での本質がない。

ユニクロのヒット商品であるフリース、ヒートテック、ブラトップとつなげて見ても、どういう洋服を作りたい企業なのかがさっぱり見えてこない。

ユニクロで働いている時も「一流のニセもの」を作っているという気持ちから逃れることはできなかった。

それでも、ユニクロが日本のアパレル業界で圧倒的な強さを維持しているのは、生産管理や工程などについて細かな決めごとを徹底的に実行しているからだ。


この話からすると、ユニクロはオーソドックスな戦略を支える「柱」の部分が突出しているということになります。

ビジネス・モデルとしては特に革新的ではないということです。

ドラッカーは非凡な企業は平凡な仕事を非凡にこなすといっていますが、そういうことであるのかもしれません。

柳井氏は

自分たちで仕様を決め、工場まで出向いて生産管理をやらないと、品質は絶対によくならない。

低価格で高品質の商品を本気で作ろうとしたら、自分たちで最初から最後までやらざるをえないのである。

よく考えれば当たり前のことなのだが、日本では誰も実行していないことだった。

今でも「ユニクロの高品質なんて口先だけだろう。こんな低価格でできるはずがない」という人がいる。

それはこれまでの衣料品流通の常識からすれば当然の感想である。

その常識を変えたのがユニクロである。


このように柳井氏の意識は元社員と違っています。

柳井氏はドラッカー経営を自ら名乗っている人物です。

彼の認識では、ユニクロの経営戦略はドラッカーの言うイノベーションに他ならないわけです。


ドラッカーのイノベーションとは画期的な発明とは違う意味です。

それまであったものを全く別の角度から見ることで、新たな価値・効用を生み出し、それが新しい満足を生み出すことがドラッカー的な意味でのイノベーションです。

つまりイノベーションとは経済的・社会的な意味合いが強い概念であるということです。

立場の違いが大きいのでしょうが、柳井氏の高い目線に元従業員の認識が追い付いていないという感じがします。


(浅沼 宏和)

2011年5月9日月曜日

書評-「ユニクロ帝国の光と影」⑥

ユニクロはABC改革によって急速にSPAに転換していきました。

SPAとしての基礎を確立したのはほぼ2000年前後であるということです。

このとき同時にフリースブームがおき、ユニクロが一気に全国区のブランドになったのです。

98年に200万着の売り上げだったフリースは、99年に850万着、2000年には2600万着にまでなりました。

カジュアル衣料業界では50万着売れればヒット商品と言われていましたので、フリースは従来の常識を覆す桁違いのヒット商品であったのです。

柳井氏は「以前のユニクロのイメージは『安かろう悪かろう』だったが、フリーすを買って実際に来てみたら『安いけれど結構いいじゃん』という風向きに変わった」といっています。

これはABC改革を通じてSPAとしての実力が実を結んだために起きたブームであったともいえるのです。

次回はSPAの利点について検討します。


(浅沼 宏和)

2011年5月8日日曜日

書評-「ユニクロ帝国の光と影」⑤

ユニクロが上場を果たしたのは1994年です。しかし、その後は業績の低迷見舞われ、3年連続で業績の下方修正を余儀なくされました。


店舗数を増やしたため売上は増えましたが、肝心の利益率は低下したのです。

低迷を脱しようと考えた柳井氏は、スポーツ衣料専門の「スポクロ」と、ファミリー向け衣料品専門の「ファミクロ」を立ち上げたのですが、これらはいずれも大失敗となったのです。

顧客にはこの3つの違いが分からなかったうえに、二つのブランドに商品を回したために、本体のユニクロに欠品が生じるという大きな問題が生じたのです。

かき入れ時の年末商戦では、対前年比でわずか10%台という超低空飛行を余儀なくされました。


柳井氏はこの時、心底から危機感を感じ、抜本的な経営改革に乗り出しました。

アドバイザーとなったのが伊藤忠から転職してきた澤田貴司氏でした。

澤田氏の助言に基づき、柳井氏は当初の目標であったSPAとしての経営スタイルの徹底を図ったのです。

これが「ABC改革(All Better Change)」でした。

ABC改革のポイントは、「作った商品をいかに売るかではなく、売れる商品をいかに早く特定して作るかの作業に焦点を合わせる」ことでした。

これは非常に具体的な戦略的方向性です。

それは商品を100%買い取ることを前提に、企画・生産から販売まで串刺しにして一社で管理することで可能になることでした。

主な具体策は次の通りです。



1、 中国の委託工場をそれまでの140か所から40か所に絞り込む


2、 生産を委託していた国内のメーカーを中抜きする


3、 それまでの季節ごとの400品番を200品番以下に絞り込む


4、 顧客との接点である店舗を起点にして会社を運営する


5、 店舗の販売データをもとにして、中国工場での生産の進捗を週単位で見直す


これらがユニクロをトップランナーに押し上げた重要な打ち手となりました。

これらは浅沼式ドラッカー戦略マップでいうところの成果を支える土台、特に生産性にかかわる打ち手という位置づけになる施策です。



(浅沼 宏和)

2011年5月7日土曜日

書評-「ユニクロ帝国の光と影」④

横田氏はユニクロが日本のアパレル業界に果たしてきた功績を次のように分析します。


1960年代は百貨店が衣料品を中心に「豊富な品ぞろえ」という革新を起こした。‥‥第一次流通革命

70年代、80年代にかけてダイエーやイトーヨーカドーといったGMS(総合スーパー)が衣料品の価格を引き下げた。‥‥第二次流通革命

90年代の衣料品専門店の台頭を経て、2000年代に入ってSPAの時代に突入した。‥第三次流通革命


ユニクロがSPAとなる以前のアパレル業界は流通形態が多層化・複雑化していたため、膨大な無駄が発生していたそうです。

具体的には、どの商品がどの程度売れるかという予測がつかないために、各流通段階で過剰在庫を抱えるというやり方に凝縮されていたのです。

アパレル業界の非効率な構造のつけは割高な商品価格として消費者に負わされていたのです。

アパレル業界はこうした無駄を解決するための努力を避けてきたといいます。

構造の是正ではなくて商品にファッション性ブランドという装飾を施して価格を高めに設定することで、旧態依然とした業界のしくみの延命を図ろうとしていました。

この状況に反旗を翻したのが柳井正氏であったわけです。


(浅沼 宏和)

2011年5月6日金曜日

書評-「心を整える」

長谷部誠 『心を整える』 幻冬舎、2011年  定価 1,365円  


長谷部誠氏はいわずと知れたサッカーの日本代表キャプテンです。

厳しい勝負の第一線にいることで若干27歳にして卓越したマネジメント論を展開できるようになっています。

長谷部氏は普通にビジネスマンになったとしても成功するでしょう。

目次から印象的な内容をあげてみると

・意識して心を鎮める時間を作る
・整理整頓は心の掃除に通じる


・孤独に浸かる
・苦しいことに真っ向から立ち向かう
・真のプロフェッショナルに触れる

・頑張っている人の姿を目に焼き付ける
・常にフラットな目線を持つ
・群れない

・競争は自分の栄養になる
・常に正々堂々と勝負する
・努力や我慢はひけらかさない

・読書は自分の考えを進化させてくれる
・読書ノートをつける
・夜の時間をマネージメントする

・遅刻が努力を無駄にする
・勝負どころを見極める
・他人の失敗を自分の教訓にする

・変化に対応する
・迷った時こそ、難しい道を選ぶ

といった感じです。

ドイツには「整理整頓は、人生の半分である」ということわざがある。
日頃から整理整頓を心がけていれば、それが生活や仕事に規律や秩序をもたらす。
だから整理整頓は人生の半分と言えるくらい大切なんだ、という意味だ。


これは当社の「2S直角並行」による環境整備と同じ発想です。27歳でこれを言える人間はなかなかいないでしょう。

20人で集まるとする。そこで僕が5分遅れたら、5分×20人で100分待たせることになる。
‥‥時間に遅れるのはどこかに甘さがあり、本気で取り組んでいないという証拠だ。
きつい言い方をすれば、まわりに対する尊敬の念が薄いと思われても仕方ない。
また、そういう準備不足の人間がひとりでもいると組織の士気にも影響を及ぼす。


時間管理は仕事のマネジメントの基本です。その第一歩を遅刻というテーマで説明している点はわかりやすいです。


ちょっと背伸びをしたら、向こう側が見えてしまうような壁では物足りない。
背伸びをしても、ジャンプをしても、先が見えないような壁の方が、乗り越えたときに新たな世界が広がるし、新たな自分が発見できる。
‥‥だからこそ僕は常に「難しい道」を選び続けられる人間でありたい。


できるビジネスパーソンになれるかどうかはひとえに自分をどのレベルにまで持っていこうとしているのかにかかっていると思います。
どの分野であろうとトップに立つ人間は構えが違うと思います。


(浅沼 宏和)

2011年5月5日木曜日

CSRの失敗-ソニーの情報流出事件

前回に続けて今回もCSRについてです。

ソニーコンピューターエンタテイメント社が史上最大の情報流出事件に見舞われています。

概要は以下の通りです。

ソニーのゲーム配信サービスから最大7700万人分の個人情報が流出したとされる問題で、世界中でソニーへのバッシングが起きている。
「史上最大」の情報流出になる可能性があり、厳しい批判が相次いだ。


流出の恐れがあるのは、子会社ソニー・コンピュータエンタテインメント(SCE)が運営するゲーム配信サービス「プレイステーションネットワーク」と、音楽、映像などの配信サービス「キュリオシティ」。2011年4月27日にソニーが発表した。

外部からの不正アクセスがあり、4月17日から19日にかけて利用者の氏名や住所、メールアドレス、パスワード、購入履歴などが流出した恐れがある。
クレジットカード番号が流出した可能性についても「排除できない」としていて、極めて深刻だ。ソニーは現在サービスを一時停止し、調査を行っている。
ネットワークの利用者は世界60か国、7700万人に及び、世界中から批判が相次いだ。
米国の「ウォールストリートジャーナル」は「史上最大級の情報流出になる可能性」と報道した。
米国の大手PC情報サイトも「ソニーは極めてひどい状況にある」と深刻視している。


同社はCSR(企業社会責任)の優等生として有名でした。

2001年、クリスマス商戦に向けてオランダに輸出したプレイステーションの部品にカドミウムが混入していたことが明らかになったことがあります。


この部品は外注先の中国企業が製造したものでしたが、SCE社はサプライチェーン上の問題についての同社の責任を認めて、オランダへの輸出を停止しました。


同社は迅速な意思決定によってクリスマス商戦を逸したことで巨額の損失を被りましたが、同社への社会からの信任、特にヨーロッパ各国からの信任は飛躍的に高まったといいます。

それ以後、ソニーでは独自の取引先基準を設けるなどして一貫してCSR優等生の地位を維持してきたのです。

これはCSRの歴史では「ソニーのプレイステーション事件」として語り継がれています。

私もセミナーなどでたびたび解説してきた事件です。


ところが今回の事件の場合、マスコミ発表が遅れたことが強く非難を受けています。

野獣の原則からいっても今回の事件は「外部の犯人のせいだ」と言い逃れることはできません。


ですからいち早く情報を開示して責任の表明を行う必要があったはずです


CSRの観点からいえば完全な失敗であったと言えると思います。


ましてSCEのプレイステーション事件は語り草になっているほどの成功事例でしたから、今後衝撃が広がるでしょう。

なにより、10年前にCSR優等生の名声を確立した企業が、あっという間にその社会的信頼を失墜させてしまったという事実は私たちも重く受け止めなければならないでしょう。

私は8年前から一貫してCSR、コンプライアンス、内部統制、リスクマネジメントについて研究してきましたが、これらを無視することの危険性が増大していることを実感する事件でした。


(浅沼 宏和)

2011年5月4日水曜日

野獣の原則―焼き肉チェーン店のO‐157食中毒事件

焼き肉店で0-157による食中毒死事件が発生しました。

北陸にある焼き肉チェーン「焼肉酒家 えびす」(フース・フォーラス社:金沢市 勘坂康弘社長)でユッケ等が原因でO-157に感染・発症した結果、35人が食中毒症状を起こし2人が死亡したそうです。
 
このチェーン店の若いオーナー社長・勘坂康弘氏が記者会見で次のような趣旨のコメントを記者会見で発表していました。


・牛肉について国内と屠場からの生食用としての実績はない。

・問題があるというなら法律で生食用ないし普通の精肉をユッケとして出してるのを全て禁止すべきだ。
・事件発生以後、当社には「人殺し」という批判メールが多数送られている。
・当社の衛生管理に不備はあったかもしれないが法は順守していた。
・今回のO-157も社外の時点で混入していた可能性がある。


ようするに生食用という食肉区分が法的にない以上、この会社がだしたユッケは合法なものであり、食中毒問題の責任は限定的なものであるはずだと社長は言いたかったようです。


この記者会見はクライシスマネジメント上、最悪なものでした。

内容もさることながら、社長の開き直った態度と発言は多くの視聴者の反感を買ったことでしょう。



ドラッカー流に言うならば、こうした場合の考え方の基準は最近、このブログでも書いた野獣の原則を基本にすることになります。

ライオンが逃げた責任は理由のいかんを問わず飼い主が負うべきという原則です。

この原則からすると、記者発表は次のような内容であるべきであった考えます。


1、このたびの食中毒事件の責任は全面的に当社にある。
2、被害を受けた方々にはお詫びの言葉もないほど申し訳なく思っている。
3、賠償責任等可能な限りの責任を取るつもりである。

4、現在原因の究明を急いでいる。
5、事故の発生経緯のみならず通常の衛生管理など当社のオペレーション上の諸問題の可能性も視野に入れている。
6、捜査当局には全面的に協力する所存である。

7、事件が一段落した段階に置いて経営責任を負う所存である。


事故の大きさからいって責任回避は不可能ですから、真摯な対応と思われる可能な限りの打ち手を打つべきであるということです。

このプロセスの中で仮に社長個人に全責任を負わせるのはかわいそうだという声が外部から起きるのであれば再生の道はあるのかもしれません。

しかし自分の責任を回避するかのような開き直った態度は自ら再生の道を閉ざすもののように思われます。


CSRの世界では「サプライチェーン上で起きた問題はすべて責任を負う」という原則があります。

この原則にのっとって評価を高めた会社もあれば、「外注先のせいだ」といって破たんした会社もあります。

現在、ソニーの情報流出事件も問題になっているようにクライシス・マネジメントの基本を押さえることは不可欠な時代状況になっています。


(浅沼 宏和)

2011年5月3日火曜日

書評-「ユニクロ帝国の光と影」③

ユニクロは小郡商事の時代から単に会社の規模が大きくなっただけではありません。

「ロードサイドの安売り専門店」から低価格ながらも高品質のカジュアル衣料品を販売する「グローバルなSPA(製造小売り)」へと転換を果たしたことが今日の隆盛の基礎となりました。

SPAとは、アメリカのカジュアル衣料品専門店であるGAPが80年代後半に自社のビジネスモデルに名づけた造語です。原語は「Speciality store retailer of Private label Apparel」からとったものだそうです。

アパレル業界では、従来はメーカー、卸売、小売、という流通の各段階において、機能ごとにそれぞれ別の会社が分業していました。

さらに原料調達や輸出入業務については商社が絡んでおり、多くの企業が役割分担をする複雑な仕組みを取っていたのです。

しかし、こうした分業体制を取ると効率が悪く、利益もあがらないと考えたGAPは、原料調達から製造、小売の各機能をGAP一社ですべて行うというビジネス・モデルによって90年代においてアメリカでカジュアル衣料のトップに上り詰めました。

ユニクロの柳井氏は80年代後半から、このGAPを目標にして、10年以上も試行錯誤を繰り返し、m日本で最初のSPAの仕組みを構築したのです。


(浅沼 宏和)

2011年5月2日月曜日

書評-『ユニクロ帝国の光と影』②

ユニクロの発展の歴史は次のようなものです。

柳井正氏の父親が山口県宇部市で小郡商事を創業。

1972年に柳井正氏が小郡商事に入社。

1984年、ユニクロ1号店を出店。柳井氏が代表取締役となる。

1991年、社名をファーストりテーリングに改称。年30店舗出店で3年後に100店舗を目指す。

1993年、ユニクロのチェーン化が完全に軌道に乗る。

1994年、直営店が100店舗を超える。広島証券取引所に上場。

1997年、東証二部上場。

1998年、「ABC改革」スタート。フリースブーム到来。

1999年、東証一部上場。

2000年、東京本部開設。売上高約2300億円、経常利益約600億円。SPAとしての形が完成。フリースブーム終焉。

2002年、柳井正氏が会長になり、玉塚元一氏が社長となる。

2003年、フリースブームの反動が底を打つ。カシミヤ・キャンペーが注目される。

2005年、玉塚氏が社長辞任。柳井氏が復帰。

2009年、リーマンショック後に低価格路線が評価され業績急上昇。

2005年以降は、東京の銀座、ニューヨークのソーホー、ロンドンのオックスフォード・ストリートといったファッションの中心地に大型店を出店していった時期です。

ユニクロはこのように宇部市の安売り専門店からグローバル企業へと羽ばたいていったわけです。

次に、ユニクロのアパレル産業におけるポジションについて見てみます。


(浅沼 宏和)

2011年5月1日日曜日

書評-「ユニクロ帝国の光と影」①

横田増生『ユニクロ帝国の光と影』文藝春秋、2010年  定価 1,500円  


本書は、初めてといっていいほどユニクロについて批判的な視点から書かれた本でしょう。

私も今一つアパレル業界のビジネスモデルについて理解が生き届いていなかったことが本書を読んでわかりました。

また、本書は柳井正氏の個人的資質や生い立ちにユニクロのビジネスモデルのルーツを見出している点で、「成功する経営戦略の誕生の秘密」と一端がうかがえるという意味でも重要であるように思います。

柳井正氏は「模範的なドラッカー経営の実践者」としての評価が確立されていますから、私としても正面から向き合って読むべき本となっています。

さらに、製造小売り業の世界ナンバーワンである『ZARA』との比較、凋落しつつあるGAPのビジネスモデルとの比較なども行われている点が有益です。

本書は基本的に柳井正氏にかなり批判的です。

柳井氏の経営手法の問題点も相当数掲げられています。

柳井氏の尊敬するダイエーの中内功氏、日本マクドナルドの藤田田氏がそれぞれ最後には厳しい批判を浴びたように柳井氏も同様の目にあうであろうという余韻を残した終わり方となっています。

横田氏の視点はそれなりに説得力があるのですが、少し偏った見方のようにも思われます。

しかしながらユニクロのビジネスモデルについて客観的に見ようとしている点では情報価値が高いので経営者にはお勧めの本です。


(浅沼 宏和)